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【ショートショート】帰途

電車に乗っている。
独特のリズムで揺れる車内を見渡すと色々な人がいることに気づく。
隣の女子大生にもたれかかり、死んだように眠りこくるサラリーマン。
目の前の席が空いているのに、初デートなのかお互いにいいとこを見せようと頑なに座ろうとしない、初々しさの残るカップル。
周りの雑音も気にせず、ひたすらに単語帳と向き合う、エナメルバッグを肩から下げた受験生。
最近ではほとんどの人がスマートホンをいじっている。

ふと、思うことがある。
僕は彼らのことは何も知らないし、彼らも僕のことを何も知らない。
でも、そこには確かに共に過ごす時間が存在して、その時間は確実に各々の人生の一部となっている。
ということは、僕がこうして車内で独特のリズムに揺られながらブログを書いているこの時間も、目の前で眠り込んでいるサラリーマンの人生の一部だということになる。

それって何だか、とても不思議なことだ。

何か直接影響を与え合うわけではない。
ただ、偶然に居合わせただけである。
きっとこの先関わりあうことはないのだろう。
それでも、彼らが僕に様々な印象を与えたことは変わらないし、その印象は僕の中でずっと生き続ける。
反対に、僕の知らないどこかで彼らはそれぞれの物語を紡ぎ続け、その中で印象としての僕もまた生き続けているのだろう。

こんなことを考えながら、あのカップルに目を向ける。
僕には全く関係ない彼らだけど、見ていてもあまり面白くもない彼らだけど、彼らが楽しそうにしているあの時間は、確かに僕に仄暗い感情を残している。
確かに僕の人生の一部を形成している。
そうして、彼らは僕の一個前の駅で降りる。
これから僕が直接彼らと出会うことは、恐らくないのだろう。
それでも、電車を降りると、僕の脳裏には彼らが幸せそうに微笑み合う光景が浮かぶ。
僕にはまだ彼女がいないけれど、いずれ彼らのようにカップルになれるかもしれない。
その相手はきっと運命の人だ。

でも、僕はそこで考えてしまう。運命の人ってよく言うけど、いったい、どうやって決まっているのだろう。
だって、運命なんて偶然じゃないか?
偶然同じコミュニティにいて、偶然意気投合して、偶然タイミングがあった、ただそれだけだ。

また、ふと考える。
僕とあのカップルが会ったのは偶然だ。
あのカップルが出逢ったのもまた偶然だ。
同じ偶然なのに、僕は何故、さっきまで目の前で彼に微笑みかけていたあの娘と、偶然出逢って、偶然意気投合して、偶然タイミングがあうなんてことがなかったんだろう。
何で僕は偶然彼らを傍観する立場にいたのだろう。
もしかしたら、偶然先に僕が彼女と出逢っていたら、世界で一番気があったかもしれないのに。
もしかしたら、彼女が運命の相手だったかもしれないのに。

こんなことを考えていると、分からなくなる。
世の中のカップルはどうやってお互いを運命の相手だと判断したんだろう。
もしかしたら、機会がないだけで、最高のパートナーは、別の物語を紡いで出逢いを待ち続けているかもしれないのに。
もしかしたら、その人は駅の構内ですぐ隣をすれ違っているかもしれないのに。

本当は分かっている。
こんなことばかり考えているからダメなんだと。
あらゆる可能性は等しく概念に過ぎず、現実を生きる僕らは、与えられた選択肢から選び続けるしかないんだと。
あの二人はそうした現実を生き抜いて、幸福を手にしているんだと。
1人寂しく帰途につく僕の中で、彼らは2人で手を繋いで仲睦まじく同じ方向へ向かって歩き続けていく。


・・・などと、色々考えてきたけれど、実はあのカップルは僕の中で生き続けてなんかいない。
そもそも、僕の目の前にカップルなんていない。
全部僕の妄想だ。
確かに、電車には乗っていたけれど、車内はスカスカだったし、目の前にはサラリーマンのおじさんが他に誰もいない座席で、脚を広げて寝ている。ただそれだけだ。

それでも、何かに触発されて僕がこれを書いたことは事実だし、種明かしをするまではあのカップルは確かに僕の中に存在していた。
確かに僕の中に生きていた。

こんなことを書いているうちに、もう家の前に着いてしまった。
偶然これを読んでいる無数の「僕」の中に、彼らが生き続け、それと共に彼らを生み出した僕の存在が生き続けることを夢に見て、今日はもう眠りにつこう。

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