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”BPM”に関して物申す(個人の実話を元に構成)

  久々の更新となりました。ご無沙汰です。突然ですが、音楽ライフの中で時々去来した思いを記事にまとめようと思い立ちました。

 はじめに、”BPM”とは「Beats Per Minute」の略で、1分当たりの拍(ビート)の数を意味する単位です。音楽においては1分あたり四分音符が入る数を指し、これで曲のテンポが決まります。1分当たりに刻む拍が多いほど、より速い曲といえます。医療では”心拍数”もBPMという単位で表現可能です。

 私Ryuseiが音楽性を育む元となったファクターの中には、「音ゲー(リズムゲーム/音楽ゲーム)」と「メタル」の両方があります。音ゲーは12~3年ほど前から「太鼓の達人」(BANDAI NAMCO)「pop'n music」(KONAMI)などあちこち嗜み始め、度々ゲームセンターに足を運ぶ日々を経て今に至っています。一方同級生の一人にメタラーがおり、音楽に特に関係のないひょんな出来事で仲良くなり、それから色々教わりました。

 ところが時系列は前後して、私がメタルISカッコイイ!と発見したきっかけは、よりにもよってこの曲↓だったのです。

 知る人ぞ知るイギリスのメタルバンド「DragonForce(ドラゴンフォース)」が2006年にリリースした代表曲です。DragonForceといえば今でこそ手広くメタルを展開していますが、当時持たれていたイメージは何より「疾走!」…つまり勇壮なメロディとド派手な演奏、何より”メチャクチャ速い曲を連発”するバンドとして名を馳せていたのです。特筆すべきは、上記の「Through the Fire and Flames」が収録されたアルバム「Inhuman Rampage」が、収録曲8曲のうちバラード1曲を除いた全曲が200BPMと物凄い速さで展開される、なんともエクストリームな1枚だという歴史です。無論平気でツーバスも踏みまくっています。

 ここに初めてメタルの魅力を見出してしまった人間はどうなるか……お察しの通り、メジャーどころの曲が”ミドルテンポ?”と思えるほど遅く聴こえたり、さらなる刺激を求めるあまり「速さが足りない」「勢いが足りない」→「物足りない」とワガママな思考が巣食う始末。ただメタルにおいてはギターの「速弾き」や、ブラストビートをはじめとした「高速ドラミング」の追求は重要な風潮・ヒストリーの1ページなため、速さ=ジャスティスな観点は特段異常ではなかったわけです。ましてDragonForceより速いビートで演れるバンドは、当時であろうといなかったわけではないでしょう。それでも色々学んでから振り返れば、DragonForce基準はやはり極端な気がしてなりません。

 メタルのエピソードはここまでです。次に「音ゲー」とは”音楽ゲーム”であるからして、多くの人がそれぞれのレベルで遊べるよう様々な難易度が用意されています。気軽にプレイできるライトな曲もあれば、凄腕プレイヤーさえ圧倒する難しい曲まで存在するのが常です。特に後者のような曲に関してはやはり、テンポが速くて多彩なリズムが組み込まれているような曲が、プレイを難化させるためには重宝されます

 そんな中で人気の高い「beatmania」(のちにbeatmaniaIIDX・KONAMI)を中心に、ハウスやトランス・ドラムンベースなどのクラブミュージックをゲーム性のある形に落とし込む流れが盛んになりました。ただし、ある作曲家が”音ゲーの曲をクラブミュージックのまがい物という風潮をひっくり返したかった”とインタビューで話していたように、育まれてた音楽スタイルは”正統な”クラブミュージックとは異質な独自のモノでした。

 例えば、リリースから長いこと界隈で話題をもたらし続けた1曲「Elemental Creation」(dj TAKA meets DJ YOSHITAKA) は212BPMです。いわゆる「ボス曲」としてプレイ難易度を高く設定するため、速いビートやフレーズの転換、過剰なキメのフレーズなどを用い、2分強で振り切った曲展開を実現させています。ここまでのテンポの4つ打ち・16分音符のシンセリフが鳴るダンスミュージックは世界中探しても珍しく、速いビートが特徴のジャンル「ハードコアテクノ」の名を借りて「音ゲーコア」と呼ぶ動きもみられました(のちに公式に流入したり)。そして何よりここに書くべきなのは、音ゲー界隈では”BPM”の値がしばしば楽曲のアイデンティティになってしまうということです。これは、プレーするゲームの難易度にも直結する情報であることが遠因だと考えます。一例として、DanceDanceRevolution(KONAMI)に収録された曲「PARANOiA」を作曲したNAOKI MAEDAは、この曲にクレジットするアーティスト名としてBPM値「180」を使っています。

 結局私はこういう”音ゲーナイズ”された音楽にも見事にハマっていましたわけです(KONAMIに限らず)。近所のTSUTAYA、あるいは遠出してSHIBUYA TSUTAYAまで出向き、サントラやアーティストのアルバムを何枚もレンタルしたことも懐かしい思い出です。土台、DTMを始めたキッカケの大部分は”音ゲー”でした。さらに当時の新ゲーム「SOUND VOLTEX」が登場すると、立て続けに”楽曲公募”を開催して大量に楽曲を投入することで一気に環境を盛り立て、今や社内の作曲家よりはるかに多く同人系クリエーターの名前が露出する昨今のスタンダードに至っています。商業作品がほっとかないクオリティを叩き出せるようなクリエーターなら、前述のように”正統な”ダンスミュージックにアンテナを伸ばすことも忘れずかつ”音ゲーナイズ”された音楽の特徴を踏襲することもできるでしょう。ネットで流行った音楽ジャンルがフットワーク軽く収録されることも珍しくありません。そして何より高難易度の”ボス曲”とくれば、多くのプレイヤーが悲喜こもごもを経験、ネット上でもホットな話題になり目立つので、音ゲーサウンドの「華」といえるでしょう。この辺りだとクラブミュージック寄りのインストなら230BPMオーバーとかザラです。

 ところが断じて見過ごせないことが一点。

 ただテンポを速くするだけだと確実に音楽性が破綻してしまいます。

 悲しいかな、それは生身では不可能な演奏がコンピューターで可能になる時代だとて変わりません。これは人間が旋律やリズムをひとかたまりのパターンとして、シーケンスとして、ひいては音楽として認識する処理が、追いつかなくなるからだと考えます。いくら音楽的にスピードマニア(高速狂)だとしてもその限界はあります。「300BPM」「400BPM」「666BPM」「999BPM」「9000BPM」…いろんな音楽を体験してきましたが、ジョークでも真面目でもこんな値を打ち出す界隈は大体知っているつもりです(それが例えば「音ゲー」だったり「メタル」だったりするのです)。でも音楽として聴かせるため、圧倒的なBPM値も”音楽的に処理”することでどうにかやっているのです。だからこそ結局…


 「ただのバスドラムの譜割りの都合じゃねえか、こんなもん」


 そう割り切るに至りました。

 元々私はMIDIも扱えるソフトをいじって曲作りのABCを体感してきた経験がありまして、そこで設定できた最大のテンポ設定は「252」(四分音符)でした。それ以上のテンポを設定するなら”二分音符”あたりのテンポとして設定し、実質2倍速にする必要がありました。私ならこんなところで「252BPMより速くて16分音符を使ったら速すぎる」という認識が暗に形成されたのではないかと見解しています。

 ただ、見方を変えれば2倍速にしたければ使っている音符の長さを全て半分にしたっていいのです。言い換えれば「300BPMの8分メロは150BPMの16分メロと結局同じ」なのです。界隈にもよりますが、”BPM”どおりに打っているのは4つ打ちバスドラムだけとかいう曲も散々聴いてきました。

 速い曲が好きなのか?それとも速い”BPM”が好きなのか?

 ここまでくると、己には”BPM”への観念が狂っていた時代が確かにあった、そう振り返るほかはありません。そんな事情を憂うあまり、最近「テンポ速いだけの曲 時に虚仮威し」と詞を書き歌ったことがあります。

 ”BPM”とは「Beats Per Minute」の略と最初に書いたとおり、この言葉は「拍/分」すなわち「キロメートル/時」とかと同じ単位のはずです。そうなると「BPM120」という書き方は「キロメートル毎時120」みたいで不自然なのでは?と漠然と思ってきました。そもそも英語表記だともっとこうはなりません。そうじゃなくて「120BPM」。このブログでは後者の表記をずっと使っています。普段からTwitterでも、「BPM120」ではなく「120BPM」「BPMの値は120」(これもちょっと怪しい)とか書くように心掛けてきました。
 ところがウォッチングしていくと、「BPM」を先にする書き方は案外プロも使っていることに気が付きました。あの椎名林檎や、音楽プロデューサーの亀田誠治が所属するバンド「東京事変」の曲にも「ドーパミント!BPM103」なんてタイトルの曲が存在します。歌詞にも出てくる関係で譜割りとかにも影響があったと察する一方で、ここまでポピュラーに使われるとなると、自分のはちょっと行き過ぎたこだわりだったのかなとも感じてしまう今日この頃。確かに「BPM103」でも分かりやすいし認識に支障はありません。”BPM警察”化なんぞ望んでいません

 最後に一つ、BPMの値が高いからどう、低いからこうという結論は決してありません。速い曲だろうと遅い曲だろうと好きな曲は好きな曲です。それぞれのテンポにはそれぞれのテンポでこそ輝く表現、ビートパターンなどはあって、結局は大事であることには変わりありません。

 以上、”BPM”に変な幻想を抱いていた回顧録でございました。


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