見出し画像

偶然性とイールドワーク

この世界は偶然に満ち満ちている。
偶然にうまくいくことばかりなのに、そのことに無自覚になり、偶然性を軽んじる傾向が強い。

『なるほどの対話』という河合隼雄さんと吉本ばななさんの対談本で、「偶然性」について語られている章がある。

ぼくがよく言うのは、「うまいこといったやつは、わけわからんのや。失敗したのは、全部わけがわかる」。

『なるほどの対話』

イールドワークで考えてみると、セッションは偶然でしかない。
考えてやると失敗する。
「満足して欲しい(満足させたい)」「変化して欲しい(変化させたい)」。
そのためには、ここをこうしてこう。などと事前に決め打ちしてやると間違いなく上手くいかない。
自分を空っぽにしていないとセッションにならない。
もしかしたら、イールドワークのセッションは、偶然性の権化と言えるかもしれない(笑)


その章の中で、ばななさんはこんなことを言っている。

技術に関して言えることがあるとすると、技術は偶然にアクセスする最低限のものなんですよ。それがないと、結局偶然にさえアクセスできないと思います。ある程度のレベルを保っていれば、必ずどこかでフッて行けるんだけれど、技術が低いと、それに気を取られて、理屈っぽくなってしまうというか。

『なるほどの対話』

ストンと腑に落ちる。
技術が低いと、それをどうにかすることがメインになってしまう。
どうにかしようとして、またはどうにかならないことに理屈をつけて説明しようとしてしまう。
閉じる方向にどんどん進んでいくことになる。


では、イールドワークにおける技術とはなんだろう?

肚感覚を感じること、ファーストポジションの決め方、タッチの質・仕方、
、問いかけの仕方などなど。

ぜんぶ大切な技術で、自分の引き出しの中に閉まっておくことが必要だ。

そしてそのベースにあるのは、
「自分の居心地の良さを最優先にする」こと。

肚感覚は「自分の居心地の良さ」の指標となるが、まず必要とされるのは、「自分の居心地を最優先にすることへの心地の悪さを自覚する」ことだ。
これまでの人生で、あまりにも他人優先に慣れてしまってきた。
言い換えると、他人のせいにすることに慣れてしまってきた。
自分の居心地を最優先にすることは、自分を引き受けることである。
そのことに気づくと、身体は一瞬及び腰になる。
「えっ?マジ?」と一瞬強張る。
でも、そこを越えると身体は一気に程よい張力を取り戻し、スペースが生じ、めぐり始める。

自分が居心地の良さを感じていることで相手も安心安全を感じ、イールドが進む。
偶然にアクセスできるようになる。

自分を引き受けると、世界は果てしなく広がっていく。


Yielding Embodiment®︎セッションを体験してみたい方、お気軽にご連絡ください。
お問い合わせ・お申し込みはこちらからどうぞ◎


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?