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【夢日記】高校の同級生が「AV女優・なつめ愛莉」だった!?

【1】

僕は、高校の卒業式を終え、自宅に帰り、何の気なしに携帯をイジっていた。

卒業式とかいう「一大セレモニー」と呼んでも過言ではない式典を終えた後なのにもかかわらず、僕はまるで、いつも通り登校して、いつも通り下校したかのようなテンションで、携帯をイジっていた。

「新規メッセージ」を押し、誰かから連絡が来ていないか、チェックした。

LINEとかいう「現代文明の最たる利器」は、まだ普及されていないようだった。今もなお現役ではいるものの、無用の長物かのような扱いを受けていると言っても過言ではない人も多そうな、メールシステムを利用していたのだ。

「メッセージ確認」を押し「受信中・・・」みたいな表示が出た後、見慣れない量の「新規メッセージ」が、ポンポンと届いていた。どれぐらい見慣れなかったかというと、「おっ」と、驚嘆の声が漏れ出てしまうほどには、沢山のメッセージが届いていた。

僕は、何事かと思いながら、訝しげにタイトルをザッと眺めてみた。

どうやら、今日催された卒業式を終えて、クラスメイトのみんなにお別れのメッセージ、みたいな内容なんだろうな、と推察することが出来た。

僕は「(※)俺宛てに何を送るっていうんだよ」などと、誰に聞かせるでもなくポツリと呟きながら、メッセージを確認しようと「開く」を押してみた。

(※)「友達居ない(少ない)アピール」をやり過ぎたためか、一人の空間であっても、友達が居ない(少ない)ことを喧伝する癖が抜けないらしい。

内容をチェックしてみると、書き出しの辺りから「あぁ、俺宛てじゃなくて、全体に向けたメッセージってことね」と、合点が行った。おそらく、電話帳に登録されているアドレス全員に届くような設定をして、送信ボタンを押したのだろうと思われる。

「なるほど、そういうことか」と、異例の事態が起きた理由に納得すると、僕は「鬼スクロール」と呼んでも過言ではない速さで、膨大な量のメッセージを、流し読み、もとい、「読む」のではなく「飛ばす」ことを主目的として、最後の文章にたどり着くまで、淡々と飛ばし続けて行った。

「膨大な量」ではなく「夥しい量」と形容したくなってきた辺りから「よくもまぁこんなに高校生活を振り返ることが出来るよなぁ」「どうやったらこんなに写真を撮ることが出来るんだろうなぁ」などと、ブツブツと難癖を吐き始めた。

大まかな内容としては、高校生活を総ざらいして「充実した3年間を過ごすことが出来ました!みんなありがとう!」と結んで終わり、そんな感じらしい。

要するに、各行事であったり、部活動の大会であったりなど、印象的な出来事をピックアップしながら「当時はどんなことを思っていたか」「それを振り返ってどう思うか」「今の自分が振り返ればこう思う」「今の自分のまま当時に戻れるならばこうする」などと、取り留めのない文章、と言っては失礼だが、お世辞にも「読ませる」ことを意識した書き方とは思えない文章が、独白形式で、バーッと羅列している、そんな絵をイメージしていただければ、概ね合っているんじゃないかと思われる。

そんな内容のメッセージが、4~5通、届いていた。分量の大小はあれど、内容はさほど変わらなかった。僕は、単純作業を脳死状態で遂行するような手つきで、鬼スクロールを繰り返していた。

彼・彼女の文章・写真を「視界には入っているが認識の対象には99%上がってこない」ような具合であったのだが、不運なことに、集合写真で、僕が一緒にうつっている姿が、目に入って来てしまった。

その顔は、自分で言うのもなんだが、うつろな目、いわゆる”死んだ魚のような目”というのは、こんな目のことを指して言うのだろうな、などと、妙に納得してしまうような表情で、擬音語で言えば「ぬぼぉ」といった風体でうつっているのを、発見してしまったのだ。

そういえば、僕は、写真を撮られるのが苦手だった。とりわけ、シャッターボタンを押す直前に、カメラマン担当の人が「ハイ、チーズ☆」と、掛け声をしてきた時が、ダメだった。ソレを言われたら、どんな表情を浮かべれば良いか分からず、ひとり静かに煩悶してしまうのだ。そして、僕の狼狽に構うことなく、パシャリと撮影されてしまったが最後、”死んだ魚のような目をした男子高校生”の出来上がり、といったわけだ。

「嫌な記憶を呼び起こされたな・・・」

あいにく、僕は、高校生活をザックリと振り返ってみたところで、あれは良かった、これは楽しかった、などと、キャッキャウフフの文章を紡げる自信が、微塵も無い。そんな人間に、俗に言う「陽キャ」に分類されるであろう「ポエム」を見たところで何になるのだ。プラスはおろかマイナスしか生まないじゃないか。

そんな当たり前なことに今更気付いた、ということは、こんな僕にも、心の奥底で「青春(アオハル)」という一筋の光を、この世に見出したかったのかもしれない。

我ながら柄にもない、と一笑に付してやりたかったが、まぁ卒業式を終えた直後ぐらいは、世間一般で言われる「青春時代」に該当される高校生活を思い返して、センチメンタルな気分に浸るのも無理はないか、などと思い直し、自ら、自らをいたわり、自らを慰めようと努めた。なぜなら、誰も慰めてくれる人が居ないからだ。いくら僕でも、惨めな気持ちを感じたまま、時を経過させたくはない。

「これを”セルフコーチング”と呼ぶには虫が良すぎるかな(笑)」

物心がついた頃から「自問自答」の癖(へき)がある僕は、”精神的自慰行為”を、横文字でカッコ良く呼んでみるも、これまた、物心がついた頃から身に付いている「自己批判」の癖(へき)によって、自ら言動を改め、鬼スクロール作業に戻って行った。

”自分で言って、自分でツッコんで、自分で笑う”

僕はこれを「セルフ笑い療法」と呼んでいるのだが、果たしてこれは、本当に、健康に好影響をもたらしているのだろうか。甚だ疑問である。

「笑い療法」は、れっきとした健康法の一つである。これは紛れもない事実。ゆえに、顔をほころばせることによって、表情筋の老化防止など、プラスの効果は得られているのかな、とは思う。

しかし「物理的なプラス効果」はともかくとして「精神的なプラス効果」となるとどうか。「笑う門には福来る」とは言っても、僕の笑い方は「満面の笑み」と呼ぶよりも「自嘲」と呼んだ方が、よっぽど近いはずだ。擬音語で言い表すならば「アハハ~!」ではなく「クックック…。」だろう。つまり、ちびまる子ちゃんのキャラクターで例えると「山田」ではなく「(※)野口さん」ということになる。

(※)引き合いに出してしまったが、特に他意は無い。説明するのに好都合だったから持ち出したまでだ。許せ。野口さん。僕はあなたのことが好きだ。クラスメイトに居たら「なんか気になる女子」にランクインするぐらいには。

そんな笑い方でも「笑い療法」に繋がるのだろうか。考えていてもラチがあかないので、願わくば「笑い療法士」と呼ばれる人に質問してみたいところなのだが、身近にそんな人も居ないので、聞けずじまいでいるのが、なんとも口惜しい。


【2】

3人目だか4人目だかのメッセージを開いたタイミングで、突然、彼ら彼女の文章を目に通すのが嫌になった。

どうせ人が変わったところで、同じ主題で文章を綴っているのだから、必然的に同じような内容が延々と続くんだろうな、と思うと、鬼スクロールで読み飛ばすことさえも、無駄な時間、無駄な労力でしかないと、感じたのだ。

「学校集会で二人目以降の生徒が表彰される時のように『以下、同文です』とバッサリ切ってしまえたらいいのに(笑)」

「どこか真新しい文章があった時は見落としを防ぐために『未読部分はスキップしない』なんて機能もあれば尚良しだな(笑)」

ブツブツと難癖を吐きながらも、結局、流れ作業に従事しているかの如く、「内容を確認するためにスクロールをする」のではなく「スクロールをするためにスクロールをする」といった心境で、僕は、脳が働いていないことを自覚しながらも、手だけは、鬼スクロールを継続していた。

その時。

「・・・あれ、これ、俺向けのメッセージっぽくないか?」

脳死状態がこのままずっと続くのかと思いきや、僕の想定外の写真が目に入って来た。「生きた心地がしない」とはよく言うけれど「生きた心地がした」という感覚はこんな状態を指すのだろうか、などと思案したくなるような反応を、体が示したのだ。

そのメッセージには、学校行事の集合写真だとか、日記形式に綴られた文章ではなく、一人の女性の自撮り写真と、とめどなく紡がれる独白、俗に言う”ポエム”のようなメッセージで、色鮮やかに彩られていたのである。

異様な光景にドギマギしながらも、染み付いてしまったらしい鬼スクロールの手癖は、そう簡単になおることもなく、電車と電車がすれ違うぐらいの速度で、一瞬、見慣れない写真や文章が目に入っては消える、を何回か繰り返していると、(※)割とすぐに、文末まで辿り着いた。

(※)「高校生活の振り返りメッセージ」と比較すると、大体5分の1ぐらいの分量だと想像してもらえれば、概ね合っているかと思われる。

最後の行には、こう書かれていた。

「ホントの私を最後に知ってて欲しくって・・・。」

僕自身、なぜだかは良くわからないのだけど、「知ってて欲しくて」ではなく「知ってて欲しくって」と書かれていたのが、妙に印象に残った。言葉で上手く説明出来ないのだが、これだけはハッキリと言える。

”後者の方が愛らしい”

僕は文学に精通しているわけでもないので「あくまでもそう感じただけ」に過ぎないのだけど、「く」と「て」の間に「っ」が入ることによって「煽情的・官能的」なイメージを増幅させる効果があるように思われた。敢えて、有り体な言い方をするのであれば「エッチな気分になる、ドキドキする」といった具合であろうか。

僕は、邪(よこしま)な感情が渦巻いているのを自覚しながらも、改めて、メッセージを見返そうと思った。それも、鬼スクロールで読み飛ばすのではなく、一つずつ、写真と文章に目を当てて、最後まで、熟読してみようと思ったのだ。

なぜなら、そこに書き記されている内容は「全体」に向けたものではなく「個人」に向けたものであると、僕の中で、確信めいたものが感じられたからだ。

相手が100の熱量で僕宛てにメッセージをしたためてくれたのであれば、僕もまた、100の熱量で受け取って、丹念に読むべきだ。ソレが最低限の礼儀だ。少なくとも、僕はそう心得ている。

「会話のキャッチボール」と呼ばれる所以はそこにある。相手に届かない程度の力でボールを投げたら、それはキャッチボールとは言えないだろう。相手が腕を伸ばしても捕れないところにボールを投げても、やはりキャッチボールとは言えないだろう。要するに「捕る → 投げる」の精度の良し悪しが、キャッチボールの練度を決めるわけだ。

それで言うと、僕は、なかなかのボールを、キャッチしてしまったらしい。「実況パワフルプロ野球」の特殊能力で言えば、まず間違いなく「重い球」は習得していることだろう。

具体的に言えば、藤川球児のような「ビュッ!」という、綺麗なスピンが効いたストレートではなく、澤村拓一のような「ドスン!」という、球威を感じるストレート、そんなボールだ。

捕球する瞬間を野球アニメで例えるならば、キャッチャーの人が「ハンパねぇ衝撃だ・・・握力持って行かれるぜ、まったくよぉ」とボヤきながらも、どこか嬉しそう、そんな様子を思い浮かべてもらえると、大体合っているかと思われる。

ゆえに僕は、見慣れない・読み慣れないメッセージに、終始ドギマギしながらも、マイナスな感情は一切抱くことなく、最初から最後まで、写真と文章に向き合うことが出来た。

特に、自撮り写真には、面食らう場面が多かった。正直、事細かに言及することすら憚られる、そんな思いにも駆られる。つまるところ、破廉恥なのだ。「あられもない姿」とは、ああいう様子を指すのだろうか。こんな女性を、僕は知らない。送り主とは似ても似つかない。だけどメッセージでは「自撮り」と書いてある。

”もう、わけがわからない・・・”

理解に苦しむ箇所が幾つもあったことは事実ではあるのだが、それでもやはり、マイナスな感情を抱くことは無かった。なぜなら、相手のメッセージから伝わって来たのは、一貫して、僕への好意、であったからだ。

当たり前のことだ。敵対心を持たれていると好戦的な態度を取りやすくなるが、親近感を持たれていると友好的な態度を取りやすくなる。それで言うと、彼女から送られてきた僕宛てのメッセージは、どこをどう読んでも、嫌な気持ちになりそうな部分は見当たらなかった。たとえ内容が理解出来なくとも「まぁ俺のことを好いてくれているのは確かみたいだな」と頷けるものばかりだったのだ。

あと、読み進めている途中で、気付けたこともある。メッセージの送り主、便宜上、ココでは「なつめさん」と呼ぶが、彼女の普段の姿を思い浮かべているからこそ、上手く内容が入ってこない面も多分にあったのだ。

「僕が知っている彼女はこんな人じゃない!」という固定観念を取っ払ってしまわないといけない。彼女の言葉を借りれば「ホントの私」をありのまま受け入れた上で、メッセージと対峙する。そうすることで「比較検討」ではなく「未知との出会い」のような読み進め方が出来るようになっていったわけだ。

考えてみれば実に興味深い。メッセージは全く変わっていない。読む人も全く変わっていない。であるにもかかわらず、読む際の心構えに一工夫加えるだけで、見える世界が一変してしまうのだから。そんな不思議な感覚に愉悦感を覚えつつも、僕は、何度も何度も、脳内に浸透させていくかのように、読み耽って行ったのだった。


【3】

僕は、なつめさんが、僕のために、懸命に書きしたためてくれたのであろうメッセージを熟読した後、そんな彼女の熱情に負けないレベルの返信文を作成することにした。

書き始めた当初は「さすがにあれだけのポエムを持ってこられると太刀打ち出来ないかな…。」と及び腰だったのだが、文字を打ち込むにつれて、ドンドン、流れに乗って行った。「ランナーズハイ」になぞらえるならば「ライティングハイ」みたいな状態だろうか。ところどころで、文章を作成している僕自身ですら驚くような言い回しも使いながら、そして、気が付いた時には、彼女に負けず劣らずのメッセージが出来上がっていたのだ。

途中、勢いに身を任せて、愛をささやくような、あま~いポエムも、あったような気がする。だけど、見返すのも気が引ける。僕は「ええい、ままよ」という思いで、誤字脱字のチェックすら行わず、送信ボタンを押したのだった。

いざ送信してしまうと、突如として、不安に駆られていった。

メッセージ作成という重大な任務を終えた僕は、手持ち無沙汰になったことで、良くも悪くも、脳内が冷静になってきつつあった。それゆえに「勢い任せ」で突っ走れたのが、今は、理性がお節介を焼くように「お前宛てに長文メッセージを送る女子が居ると思うか?」などと、耳元で囁き始めたのだ。

心の中の僕の声は、淡々と、想定されうる中で最悪の結末の可能性を列挙していった。僕は「確かにそうだ…。」と頷き続けることしか出来なかった。実際そうなのだ。女性と接してきた経験が極端に少ない僕は、少し頭を働かせれば簡単に気付けそうなことも、一つ残らず見落としていたのだ。

「僕の駄文乱文が原因で気味悪がられたらどうしよう…。」
「一人相撲でした、なんてことになると立ち直れそうにないよ…。」
「いや、もしかしたら、ハニートラップの可能性もあるぞ…。」
「有頂天になって、一人で騒いで、一人で悶えて、僕はなんて愚かなんだろうか…。」

考えれば考えるほど、思考の負のスパイラルに陥っていく。しかし、奈落の底かと思われたネガティブシンキングは「~~~♪(着メロ)」という着信音により、地上に引き戻されることとなった。

僕は「差出人」の欄を確認した。
「なつめさん」から返信文が届いたらしい。

僕は一も二もなく内容をチェックした。この瞬間は「何が書かれているか怖い…。」といった類のマイナスな感情は湧いて来なかった。いや、マイナスな感情に意識を向ける余裕すら持てていなかった、と書いた方が正しいのかもしれない。

メッセージには、こうとだけ、書かれていた。

「〇〇(学校の近くにあるパン屋さん)で待ち合わせしましょう」

最初に届いた長文のポエムとは似ても似つかない、用件だけを簡潔に述べたメッセージ。それだけに、僕の妄想は、とどまるところを知らなかった。

「この文章は何を意味しているのか?」

どうせ考えてみたところで、僕は彼女ではないのだから、明快な解に辿り着けるはずがない。それに、頭を捻れば捻るほど、人間は、もとい、とりわけ僕という人間は、ポジティブな方向ではなく、ネガティブな方向に思考が偏る生き物であるにもかかわらず、僕は、考えることをやめようとしなかった。

「これはやっぱり、気分を害させてしまったんじゃないか…。」
「いや、だとしても、返信してくれたのは、救いがある…。」
「いや、喜ぶのはまだ早い。まだハニートラップの線が残ってる…。」
「待ち合わせ場所に行くと怖そうな人がわんさか居たりして…。」
「じゃあいっそのこと、綺麗なまま、放置しておいた方が…。」
「敢えて待ち合わせに行かない、なんて選択肢もあるのかしら…。」
「いやいや、約束を反故にするのは、人としてどうなんだ…。」

などと、ああでもないこうでもないと呻吟したのち、僕は、とりあえず、指定された待ち合わせ場所に行ってみることにした。

ただし「大抵のことは起きても何も驚かないぞ…。」と言えるぐらい、「こうなったらこうする」「ああなったらそうする」といった具合に、無数のケーススタディを、持ち前の想像力を遺憾なく働かせた上で、である。


【4】

「こうやって二人で会うのは初めてだね(笑)」

なつめさんとの対面は、拍子抜けするぐらい、あっさりとしたものだった。

長文のメッセージが送られてきた時に貼られていたキワドイ写真とは、似ても似つかない、それでいながらも、学校内では見慣れていた記憶がある、いわゆる「あまり目立たないタイプ」のカーストに属していそうな女の子が、パン屋さんの前に、立っていたのだ。

しかし、彼女の服装は、見慣れていなかった。言ってしまえば当然のことではあるのだが、僕は、彼女の制服姿しか見たことが無かった。そういう意味では真新しさも感じた。だけど、開口一番、冒頭に記した挨拶を交わすと、やっぱり、見慣れた彼女のソレだった。

だけど、ここは学校ではない。そして、彼女が言うように、辺りには誰も居ない。僕と彼女だけだ。つまり「各々の意志で、各々と会うために、待ち合わせ場所に向かった」という関係性なのだ。ココが、学校での何気ないやり取りを交わすのとは、如実に違う。

僕は、彼女と取り留めのない話を交わしつつも、そんな非日常体験について思いを巡らせていると、息苦しさを覚えるようになった。胸の高鳴りを感じる。ふと気になった。「俺、今、ドキドキしてる」と口に出してみたら、彼女は、どんな反応を示すだろうか。

だけど、想像してみるだけで、結局、声を出すことは出来なかった。「出さなかった」のではない。「出せなかった」のだ。「もしも彼女が困惑そうな表情を浮かべたらどうしよう?」と思うと、とてもじゃないけど、口を開くことが出来なかったのだ。

僕が逡巡しながら話に合わせて相槌を打っていることに、彼女は気が付いているんだろうか。相手の話にちゃんと耳を傾けて受け答えしないと失礼に当たるんじゃないのか。でも、こういう空間(クラスメイトの女子と二人きりで街を歩きながら雑談に興じる)に慣れていない僕は、別に考えなくても良いようなことが、ドンドン、頭に浮かんできてしまうのだ。

「こんなところを知り合いに見られたらどうしよう…。」
「どこかで『ドッキリ大成功!』のプラカードとか…。」

そんなことが無性に気になってきた僕は、目の前に居る彼女に視線を向けずに、四方八方、自分の視界に入るだけの領域は、一面、定期的に見渡さないと、気が済まなくなってしまったのだ。その滑稽な有り様は、俗に言う「キョロ充」をイメージしてもらえれば、大体合っているかと思われる。

「挙動不審」と取られてもおかしくない僕の様子に、さすがの彼女も違和感を覚えたのか、コホンと咳払いをしたのち、アイドリングトークはこんなところにして、と言わんばかりに、言葉の調子を変えて、僕に、こう言ってきたのだ。

「アッチが凄いって噂が立ってるけどさぁ、実際どうなの・・・?」
「(笑)」→ 笑ってごまかそうとしている様子

彼女は、僕の落ち着きのない仕草を見て「もう雑談に飽きた頃合いかしら?」などと感じたのか、打って変わって「下世話トーク」に、話題を転換して来たのだ。

そういうつもりは一切無かった。話の内容に興味が持てなかっただとか、内容が無い話に思えて飽きてきただとか、断じて、そんなことは無い。ただ単純に、不慣れな状況に身を置くことに、心と体が付いていけなかっただけなのだ。

要するに、キャパオーバーだ。非現実的なことを言えば、彼女との雑談に興じる自分、自分の受け答えに難癖をつける自分、それらを俯瞰して自己理解/他者理解を深める自分。3人ぐらいの自分が同時に存在させることが出来るのであれば、上手く情報処理させられたのかもしれない。だけど現実は違う。自分という人間は、この世でたった1人しか、存在しないのだから。

・・・などと、言っている場合ではなかった。

今まさに、僕の目の前で、僕に好意を持っている(と、そろそろ信じても良いはずの)彼女が「アッチ方面」の話題を振ってきている。このクエスチョンに対して、正解と言えるアンサーは、いったいなんなのか。ただそれだけに、全身全霊で、ぶつかって行かなければならないのだ。

僕は、嘘をつくのが、嫌いな性分だ。今回のケースで言えば「う~ん、まぁ~、どうなんでしょう、ねぇ(笑)」などと、曖昧な返答ではぐらかせて、話頭を転じるのは、少なくとも僕の中では「最も悪しき愚行」だと思っている。

しかし、どこまで踏み込んで良いのか、OKラインとNGラインの線引きが、イマイチ分からない。自ら話題を振って来たところから「下ネタOK」と仮定することは出来そうだ。だけど、この場合、どんなノリで返答するのが、いわゆる「正解」に当たるのだろうか。そして彼女は、僕に、どんな返答を求めているのだろうか。そういった諸々が、全く判断つかなかった。

ゆえに、僕は、答えに窮した。だが幸いなことに、彼女は、僕が口を開くまで、じっと待ってくれていた。沈黙の気まずさに耐えかねて「ごめんごめん、今の忘れて(笑)」などと言ってもおかしくはなかったはずだ。時間にすれば5秒程度。しかし、その場に居合わせた二人にとっては嫌に長く感じられたであろう「間」が生まれたにもかかわらず、彼女は何も言わず、ただただ、僕の言葉を待っていてくれたのだ。

”沈黙は金、雄弁は銀”

そんな格言が頭に浮かんで来たのと同時に、自分の心が安らいでいくのを感じた。「ああ、この人は、自分が言葉選びに困っていても、待ってくれるんだ」そう思えると、不思議と口も開きやすくなるものだ。そこまで思い至ると「自問自答 × 自縄自縛ループ」から抜け出せた心持ちにもなれた。さらに、これらの変化と比例するように、彼女と同じ空間で過ごすことにも、居心地の良さを感じられるようになっていったのだ。

僕は、彼女の質問に「深読み・裏読み」することなく、ありのままに思ったことを、自然な口調で、念のため断っておくと、”努めて自然な口調で”、ではなく、”自然な口調で”、返答することが出来た。

「まぁ、そう期待されると困るけど、そんな話らしいね(笑)」

彼女は、自分のことを聞かれたのに、他人のことを聞かれたように答えた僕の言葉がおかしかったのか、クスクスと笑いながら、明るい調子で、僕の目を見て、こんな提案をしてきた。

「じゃあ、実際に試してみるね。いいでしょ?(笑)」

僕は、心の中で、つぶやいた。

「(付加疑問文・・・。)」

僕は「~でしょう?」と聞かれると、毎回、そんな五文字(付加疑問文)が頭によぎるようにプログラミングされている。ただでさえ「YES/NO」で答えられない疑問文に返事するのが苦手な僕は「~でしょう?」という形式で質問されると、とてもじゃないが「いや、やめておきます」などと、否定の意を示すことが出来ない性分なのだ。

付加疑問文には「聞くまでもないんだけどエチケットとして質問したまでよ」とか「あなたにとっても好都合の話を持ち出したのだから断る理由もないでしょう」などといったニュアンスが、言外に示されている気がしてならない。そんな気持ちを無下に扱うことは出来ない。たとえ自分の中で「嫌々・渋々」という感情があったとしても、だ。

なぜなら、自分の気持ちを優先して断ったが最後「相手の機嫌を損ねてしまったんじゃないか」とか「断られるなんて微塵も感じてない状態で断れられた時ってショックが大きいよなぁ」などと、自己嫌悪の念に駆られることの方が、僕にとってはよっぽど、心身を疲弊させるタネになりかねないからだ。

だが、しかし、but。
けど、けれど、yet。

僕の性欲は、自分でも辟易したくなる”理屈フィルター”を、瞬く間にぶち壊した。

僕は、返事もロクにせず、その代わり、彼女との距離をグッと詰めて、寄り添うようなスキンシップを行なった。つまり、無言の行動により「こちらこそお願いします。」と示したわけだ。元来、口が開きにくい僕は、よくこの手口を使う。ただ、今回に至っては「気まずさ」ではなく「気恥ずかしさ」から来る口の重たさだったことは、いつもと違うパターンだった。彼女の方がよっぽど男らしい。そして僕は、相変わらず、どこまでも、女々しい。


【あとがき】

今回の夢体験、ならびに、夢日記でお世話になった「なつめ愛莉」さんは、2023年7月現在も「あいなっつ」として、多方面(※)に活躍されているみたいです。

(※)タレント・グラビアアイドル・YouTuber・Pocochaライバー(Wikipedia調べ)

夢に出て来ていただいたお礼も兼ねて、各種SNSのリンクを貼っておきます。「なつめさんってこんな人だったのね〜」などと思ってもらえますと幸いです。

ちなみに、彼女のことは2〜3年前の記憶で止まっていたので、夢世界に出て来た彼女は当時の記憶のままでした。

でも、今もやっぱり、特徴的な目元は変わっていない気がしますね。当時の頃から「記憶に残りそうな目をしてるなぁ」と思ったものです。

「記憶に残る」ということは、女性タレントとして売り出すには、大きな武器にもなるはず。せっかくのご縁。陰ながら応援しております。

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