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【エッセイ】「緑色のお菓子=抹茶」と思って食べたら違う味だった時のガッカリ感

僕と彼女(恋人)は、兵庫と千葉の遠距離恋愛の仲である。ゆえに、面と向かって顔を合わせる機会は、さほど多くはない。今回のように、定期的にリモート通話を行ない、近況報告をし合ったり、元気そうな顔を見て一安心したりしている。

そんな中、いつものように、彼女とリモート通話を行ない、雑談に花を咲かせていた時の話。

彼女「東京駅で手土産を買うならなにがいいのかな~」

千葉から兵庫へ赴く際、やはり、何か土産物はあった方が良いだろう、と考える彼女は、毎回、何を持っていくべきか思案することが多いらしい。

東京駅に行けば、極論、なんでもあるので、言ってしまえば、選び放題ではあるのだが、逆に言えば、選択肢が多すぎるがゆえに、なかなか「これだ!」と思えるものに出会いづらかったり、どれも良さげに見えて一つに絞り切れず、ただただ時間だけが過ぎて行ってしまう、ということが、しばしば起きるとのこと。

そこで、彼女なりのチョイスのみで決めるのではなく、事前に、それとなく、こういうのを土産物として持って行ったら喜んでくれそう、というのを、僕を経由して、知ることができないものか、と考えたわけだ。

僕「まあ、何を持って行っても、喜ぶと思うけどねえ」

彼女「それが一番難しいんだよなあ(笑)」

我ながら、歯切れの悪い回答である。何の参考にもならない。彼女の言葉も、ごもっともだ。

僕「母は、甘いもの、そんなに好きじゃないねえ」

僕「父は、プリンが、好きそうだねえ」

僕「母は、ティラミスが、好きだったかなあ」

僕は、両親が好きな食べ物を思い返しながら、ポンポンっと、具体例を挙げていった。別に「甘い系の食べ物のお土産」と指定されたわけではない。僕の中で「土産物に最適なのは甘い系の食べ物と相場が決まっている」という、ある種の偏見みたいなものが、そうさせたのだろう。

彼女「甘いものねえ・・・」

彼女「そうだ、マカロンとか、どうかなあ?」

彼女「東京に有名なマカロンがあったような・・・」

彼女は、僕の意見に賛同してくれたのか、具体的な土産物を指定してきた。マカロン。僕の人生の中で、あまり、というか、ほとんど、いやいや、全くと言って良いほど、馴染みがない。辛うじて名前と絵面だけ浮かんでくるかな、という程度の知識しかない食べ物だ。

僕「マカロン・・・ねえ・・・」

僕「マキロンなら多少は知ってるし、使ったこともあるんだけど、あいにく、我が家、マキロンじゃなくて、イソジン派なんだよなあ・・・」

自分で言うのもなんだが「こいつは何を言っているんだ?」と、呆れた表情になりながら、テキストを打ち込んだ。悲しいかな、少し手直しを加えているとはいえ、”ほぼ原文ママ”なのだ。僕は、何食わぬ顔をして、つまらぬことを言う癖がある。それも、かなり根深いレベルで。

彼女「あぁ、そう(笑)」

彼女「マカロン、食べたことないの?」

彼女は、またいつものが始まったな、と思いながら流したのか、あるいは、僕の脱線癖をとうの昔に見破り、本題から逸れないように注意しているのか、即座に「マキノン」ではなく「マカロン」に話題を戻した。

僕「マカロン、食べたこと、ないんじゃないかな・・・」

僕「父と母も食べてる姿は見たことないけど・・・」

僕「まあたぶん『かわいい~』とか喜ぶんじゃない?」

僕「喜ばないことはないでしょ、知らんけど(笑)」

僕は、関西生まれ関西育ちのくせに、そこまで関西人っぽくない、というか、人によっては「エセ関西弁か?」と疑われてしまうぐらい、関西弁を使いこなせていないのだけど、関西人の十八番と言って良い「知らんけど」に限っては、多用する癖がある。

その理由は明確だ。なぜなら「知らんけど」を使うことで、

「僕は〇〇だと思うのだけど、実際に〇〇になる、と断定することは出来ない。ゆえに、僕が〇〇だからと言って、あなたも〇〇だと受け取りなさい、と、強要する意図は全くないよ。受け取り手がどう解釈するかは、話し手がコントロール出来ることじゃないからね」

というような意味合いを言外に示すことができると僕は考えているからだ。無論、他の関西人も、同様の思いで使っているのかどうかは、定かではない。否、正直に白状すると、そんなこと思って使ってるやつ早々おらんやろ、何抜かしとるねんアホォ(笑)、と、内心では思っていたりもするのだが、これは問題発言になりかねないので、伏せておこう。

失礼。
つい油断して、悪癖の脱線癖が露呈してしまった。
話を戻そう。

彼女「じゃあ今度はマカロンにしようかなあ・・・」

彼女「今からそのお店のやつ(マカロンの写真)送るね」

念のため言い添えておくが、僕の「知らんけど」に対して、彼女は、何にもリアクションを示していない。勝手に僕が、記事の中で、やたらめったらと口上を述べただけに過ぎないので、悪しからず。

彼女がそう言うと、間もなく、LINEを介して、写真が送られてきた。

noteに記載しているため、直接、マカロンの画像を添付するのは自重しておいた方が良いだろう。代替措置として、お店のURLを貼ることにしよう。

ピエール・エルメ・パリのマカロンは、小さいながらも私たちの心を捉えて離さない洗練された珠玉のお菓子。ふっくら盛り上がった優美な姿態、外側のさくさくした歯ざわり、それに甘く優しい中身が見事なハーモニーを奏でて至福のひとときを演出してくれるのです。

ピエール・エルメ・パリの代表アイテム、マカロン。人気の高い定番フレーバー6種を詰め合わせた6個入りギフトボックスです。どなたにも喜ばれる定番の詰め合わせ内容は、贈り物や手土産などのギフトとしても最適です。

ピエール・エルメ・パリのマカロンは、小さいながらも私たちの心を捉えて離さない洗練された珠玉のお菓子。ふっくら盛り上がった優美な姿態、外側のさくさくした歯ざわり、それに甘く優しい中身が見事なハーモニーを奏でて至福のひとときを演出してくれるのです。

こちらの年間定番フレーバー詰合せのセットでは、定番人気を誇るショコラアメール、アンフィニマン・ジャスマン、アンフィニマン・ピスターシュ、アンフィニマン・カラメル、そして色味にも鮮やかなアンフィニマン・シトロン、アンフィニマン・ローズの6つをバランスよく組み合わせ、どなたにでも喜ばれる味わい取り揃えました。

とのこと。

まぁ、正直、マカロンのことを何も知らない僕からすると、懇切丁寧な商品の解説をなされても「でも、お高いんでしょう?」という、下世話な勘繰りコメントしか出てこないのが、悲しいところではあるのだけど。

事実、真っ先に目についたのが「6個で3000円超えてくるのかぁ。1個500円以上するんだぁ。マカロンって。すげえなぁ。」だった。「庶民的な感覚」と言えば、多少、聞こえは良くなるだろうか。実情は「金のことしか考えてないヤツ」かもしれないが。僕自身、どっちに属するのか、良くわからないが。たぶん、どっちも属している気がする。

そんなことをボンヤリと考えながら、彼女に送ってもらった写真を眺めていたら、ふと思い付いたように、こんなことを聞いてきた。

彼女「この6種類の中だったら何味が好き?」

彼女「(僕の)お父さんとお母さんは、何味が好きそう?」

【補足】
カタカナが多い名称なので、僕の独断で、ザックリと6つのフレーバーを列挙しておく。おそらく「カラメル・ショコラ・レモンシトロン・ジャスミン・ピスタチオ・ローズ」の6つに分けられるかと思われる。

彼女は、僕の父と母のことを「お父さん・お母さん」と呼ぶ。今はもう慣れてしまったが、最初は随分と驚いたものだ。なぜなら、逆の立場になった時に、僕は、彼女の御両親を「お父さんは~」「お母さんは~」などと、気軽に呼べる気がしないから。

無論、彼女に対して「自分のお父さんやお母さんみたいに気軽に呼ばないでくれる?」みたいな念があるわけではない。むしろ嬉しい。壁を作ることなくウチの家族と接してくれている気がして。

ただ、だとしても、どうしても、僕は考えてしまうのだ。「別に自分の父や母じゃないしな」と。彼女みたいに、(良い意味で)何も考えず、気軽に呼べたら、どんなに楽なことか、と思ったとしても。彼女自ら「そんなこと気にする人じゃないよウチの親は(笑)」と一笑に付されたとしても。

彼女から見た時の御両親と、僕から見た時の御両親は、見え方や感じ方が全くもって異なる。それは御両親サイドも同様だ。

少なくとも、一度は、お酒を酌み交わすなどして、腹を割った話をした仲でなければ、その上で、事前に許諾を得なければ、安心して「お父さん・お母さん」と呼ぶことは出来ないだろうなと、僕はずうっと、まごついたままである。

そんな体たらくなので、未だ、具体的な呼び方は決まっておらず。話の流れに身を任せて、ごまかしごまかし、やっている。「むしろこっちの方が失礼なんじゃないか?」とさえ思えてきたのだが「やはり酒を酌み交わした仲にならなければ」と、無駄なところだけ意固地な面も手伝って、問題解決に至っていない有り様なのだ。

度々、失礼。
またやってしまった。
本題に戻る。

彼女から「マカロンは何味が好きか?」「父親と母親は何味が好きそうか?」と問われた僕は、しばし考えた上で、一気に返事をした。

僕「俺は基本的に抹茶派だから緑のヤツかなぁ」

僕「母はイチゴが好きだから、この赤いヤツだな」

僕「父はケーキはチョコケーキ派だから茶色のヤツか」

僕「いいね。これでいいんじゃない?」

リンク先の、6つが詰め合わせになっているものを見て、それぞれの色から「緑は抹茶味、赤はイチゴ味、茶色はチョコ味」とアタリをつけた上で、賛同の意を示したわけだ。

しかし、彼女は、若干の苦笑いを浮かべながら、こんなことを言ってきた。

彼女「ん-、これ、抹茶じゃないと思うな、たぶん」

彼女「(商品説明の欄をチェックする仕草)」

彼女「あぁ、緑色はピスタチオみたいだね」

彼女「あと、赤色も、イチゴじゃなくてバラなんだって(笑)」

僕は、聞き慣れないフレーバーがポンポンと続いたので、「(ピスタチオ味・・・?)」「(バラ味・・・?)」と、彼女の言葉を理解するのに手間取って、しばしの間、沈黙が流れた。

その後、ようやく飲み込めた僕は、苦笑しながら、こう答えた。

僕「・・・じゃあ、ダメだね(笑)」

彼女「ダメか(笑)」

僕「いや、別にいいんじゃない、知らんけど(笑)」

彼女「じゃあもう、次はコレにするからね(笑)」

僕「あいあい(笑)」

僕の「知らんけど」のコンボを、いとも簡単にあしらってしまう彼女。こうやって文字に起こしていると、今更ながらに感服してしまう。

もしも逆の立場であれば「その『知らんけど』を聞いてしまった以上、マカロンは選択肢から除外せざるを得ないよ」などと、しち面倒臭いことを、ブツブツと喚き散らしているのだろう。

我ながら情けない、と同時に、僕の彼女は実にアッパレだ。決断力がある。迷いがない。ゆえに時間を有効に活用することが出来る。僕なんかとは雲泥の差だ。爪の赤を煎じて飲まなければならない。

愛撫の一環で指を舐める行為に興じたことはあるのだけど、その程度じゃあ足りなかったらしい。もっとディープに、激しく、愛撫を行う必要があるのだろうか。

コホン。

良い子のみんな、打ち消し線を引いた部分は、気にするな。読むな。これは命令だ。

さて、そろそろ、タイトル文の回収作業に入ろうか。うん。分かってる。いくら何でも遅すぎるな。書いている僕自身、ビックリしている。どれだけ無駄話をすれば気が済むねんと、割と序盤の段階から、頭の片隅にある状態で、ここまで、手が止まることはなく、キーボードを叩き続けてしまったのだ。

おそらく、スマホのフリック入力ではなく、パソコンのキーボード入力に変えたことで、長文になっても打ち疲れしづらくなったことが、主な要因に挙げられると思われる。

これからは気を付けます。ごめんなさい。(小並感)

で。

僕は思ったよね。「緑色のマカロンはピスタチオ味だ」と言われてさ。「緑色=抹茶味」と、早合点してはならない、と。今後の教訓にしなければならないな、と。そういえば、前も、似たようなことがあったな、と。

緑色のチュロスがあった「お、抹茶味のチュロスじゃないか」と思った僕は、和スイーツの味わいをイメージしながら一口かじったのであるが、創造とかけ離れた味がしたので「うわ、なんやこれ!」と、まるで、食べ物に毒を盛られた人間のようなリアクションをしてしまったのだ。

【補足】僕は落ち着いていると標準語みたいな喋り方をするのだが、慌てたりすると、ナチュラルな関西弁が顔を出すところがある。

しかし、フタを開けてみたら、抹茶味と思い込んで食べた僕の勘違いが招いた出来事だった。そう。緑色のチュロスは、抹茶ではなく、メロンだったのだ。和スイーツのイメージで食べたところに、メロン特有の味わいが口に広がったので「抹茶がこんな味するわけないやろ!」と、体が拒否反応を示し、咄嗟に、回避行動を取ったのであろう。

考えてみれば、抹茶味のスイーツは、緑色の中でも、深い緑色であるケースが多い。そしてメロンは、緑色の中でも、黄緑に近い色であるケースが多い。言ってしまえば、僕の確認不足が招いた種なわけだ。言うまでもないが、チュロスに落ち度は一切ない。付け加えておくと、メロン味だと思って食べれば、しっかりとしたメロン味で、ちゃんと美味しかった。

だが、今回のマカロンで、また新たな「刺客」が現れることとなった。

「深緑・黄緑」の区別を付けることで「抹茶・メロン」の見分けが付けられると思っていたところに「ピスタチオ」とかいう新参者が出てきた。さあ困ったぞ・・・。

色合い的にはどうだろうか。まあ、メロンと似たタイプ、黄緑チック、と言えなくもないが、パッと見た感じ、抹茶と見間違えてもおかしくない装いな気もする。コイツは厄介だ・・・。

断っておくと、僕は、ほとんどスイーツに詳しくない。むしろ、甘い食べ物は、得意か苦手かで言うと、苦手寄りの普通、言い換えれば、「食べられるけど好んでは食べない。甘いものが食べたい気分なら自ら食べる時もあるかも」といった具合だ。

ゆえに「抹茶・メロン・ピスタチオ」のフレーバーを見分けてきた経験の浅さから、どれが何味なのか判断に苦慮している面は、否めないだろう。

だから、今後、経験を重ねていく中で「この色はメロン」「この色はピスタチオ」「この色は抹茶、君に決めた!」といった風に、一目で分かるようになるのかもしれない。

そうなれば何にも困らないのだけど、少なくとも今現在は、見分けがつかないケースも、今後、沢山出てくることだろう。それを思い煩っている内に、フッと妙案が閃いたので、この場をお借りして、シェアさせていただきたい。

単刀直入に言おう。

”メロンorピスタチオの味をイメージしながら食べる”

理由を述べよう。

僕は、前述した「チュロス誤認事件」を通して「『コレジャナイ感』を感じると、人間は味覚がバグってしまい、味を正しく認識することが出来なくなる」ということを学んだ。

その教訓を逆手に取れば「良い意味で『コレジャナイ感』を感じれば、良い意味で味覚がバグってくれ、良い意味で味を正しく認識することが出来なくなるのではないか?」という仮説を立てることが出来る。

つまり「これはメロン味orピスタチオ味だ」と思って食べたにもかかわらず「抹茶味やないかーい!」ってなったら「抹茶味だと思って抹茶味を食べた」時よりも、美味しさは増幅するのではないか、と思い至ったのだ。

無論、悪い意味で予想が的中して、メロン味orピスタチオ味のケースも、当然あるだろう。だが、それはそれで、楽しめば良いだけのこと。別に、特別苦手なわけでもないのだから。

要するに「ぬか喜び」するぐらいだったら「嬉しい誤算」の方が、文字通り嬉しいよね、というわけだ。

このように、事前の準備や考え方を一つ工夫するだけで、結果は180度違ったりするから、人間ってやつは面白い。

ただ、まだ、この理論は仮説に過ぎない。実践に移すチャンスが来る時を、密かに心待ちにしたい。そして、面白い結果が出たあかつきには、今日のように、エッセイのネタとして活用したい所存である。

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