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#31【夢日記】教えたつもりが教えられていた

こんな夢を見た。

夢日記(メモアプリから引用)

そして目が覚めた。


「計」とは、久し振りに顔を合わせたな。あの子、元気でやっているのかしら。今頃は大学生か、あるいは、社会人として立派にやっているのか・・・。

彼とは、バイトの先輩・後輩の間柄である。それも、かなり離れた後輩だ。年齢も離れていた。僕は大学生、彼は高校生だったから。

「計」という源氏名ではあったが、計算高い印象は全く無い、という思い出がある。ちなみに、当時からそんなことを感じていた。

※僕が働いていた居酒屋では本名ではなく源氏名をネームプレートに書いて接客する。

それが僕にとっては付き合いやすかった。言い方を悪くすると「気遣い下手・思慮が浅い」とも言えるのだが、それがかえって、僕には新鮮だったのだ。なぜなら、自分には持ち合わせていない要素だから。

「計」との思い出は、他にもある。

僕がバイトを卒業する時に、バイトメンバー、また、他店舗で知り合ったメンバー、それと、お世話になった社員や社長の方々から、お祝いと労いのメッセージを、冊子の状態にしてプレゼントして貰ったのだが、その文章が、また珍妙であったのだ。

▶︎「お疲れ様でした。唐揚げの作り方を優しく丁寧に教えてもらったことが僕の思い出です。ありがとうございました。」

記憶ベースで申し訳ないが、確か、こんなことが書いてあった。僕はそれを読んで「他にも色々教えた気がするけどな・・・」と、思わず苦笑いを浮かべてしまったものだ。

こういうところが、僕は好きだった。

僕であれば、こんなメッセージは書けないと断言出来る。なぜなら「唐揚げの作り方以外にも色々と教えてもらったしな・・・」と、自分自身で内容を否定してしまうからだ。

これは、良く言えば思慮深い、であるのだが、実際のところ、不都合が生じることの方が多い気が、僕はしている。

要するに、筆不精になりかねないのだ。内容を、ああでもないこうでもないと、呻吟(しんぎん)してばかりいると。

ホントに大事なのは、どんな内容を書くのかではなく、メッセージを書いて送ることそのものであると、僕は思う。

「こういうことを書いたらこう思われるんじゃないか」という視点は、ある程度は持つべきかもしれないけれど、それで面倒臭くなって、書くことそのものを放棄しては、本末転倒なのだ。

さらに言えることがある。

今こうして「計」のメッセージをネタにさせてもらっているわけだが、実のところ、他の方々からのメッセージの内容は、ほとんど記憶に残っていない。

そう。「唐揚げの作り方を優しく丁寧に教えてもらった」などといった、珍妙な文章だったからこそ、時が経っても、覚えていられたわけなのだ。

僕のように、ああでもないこうでもないと、頭を捻って練り上げた文章というのは、得てして、無難な内容に落ち着いてしまうものだ。そうなると、時間が経つと忘れられてしまう。

つまり、誰が読んでもツッコミどころがない文章、というのは、誰の記憶にも残らない文章、とも言えるわけだ。

ここまでで、二つ、分かったことがある。

・僕よりも計の方がメッセージを書くのが早い
・僕よりも計の方が筆マメの素質がある
・僕よりも計の方が記憶に残る文章を書ける

・・・。

今日の夢を見て気付いたよ。僕が計にバイトのいろはを教えたつもりだったが、それは間違いだったな。逆だ。僕が計にメッセージの書き方を教えてもらっていたんだな。

今更だけど、ありがとう。僕も計みたいに、みんなの記憶に残るような文章を書けるように、頑張ってみるよ。

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