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「起業」が身近な職業の一つになり、失敗することが許される社会になって


自分の人生を振り返ってみると、常に安全な石橋をたたいて、大丈夫そうだったらダッシュで通り抜けてきた人生だった気がする。

20代の時は自分はまさに「官畜」だった

初めてのキャリアは霞が関の官僚からスタートして、20代の時は21時過ぎまで残業みたいな環境下で仕事をしていた記憶がある。

毎日、辛いことも多く、時には体調を崩すこともあったけど、何とか乗り切ることが出来たものの、自分の考えと仕事の間でのミスマッチが常にあった気がする。

脳が思考停止していた30代と国際機関への赴任

30代の時も仕事中心で、職場の仲間と平日に居酒屋で酒を飲むことを楽しみに仕事を頑張る日々だったけど、37歳の時に国際機関へ赴任して自分の人生観や価値観について大きく考えさせられた。

コロナパンデミックの到来により、日本へ自由に帰国することができない日々、祖国から遠く離れた国で怯える日々、そんなタフな環境だったけど、英語力の低さとは裏腹に国際機関での業務を何とかこなすことが出来て、今でも「元国際機関職員」と言えることに少し胸を張っている。

新しいことに挑戦を始めた40代とその先

40代に入り、改めて自分の人生は自分の意思とは別のところにあることが嫌になり、産業界へ転職することになり、そして、現在に至る。

世の中は自分が想像していた以上に多様で、18年近く自分が見ていた世界というのはまた別の世界であって、そこには全く異なる景色が広がっていた。

40代のうちに成し遂げたいこととして「オンライン海外大学院留学」と「起業」がある。失敗を恐れずに前へ進むためにも、新しいことに挑戦して、自分自身がその先駆けになりたいと思っている。

日本が失敗を許さない社会から失敗が当たり前になる社会になるため、僕自身も実践活動として自分にやれることをやっていきたいなと思う土曜日の午後だった。


流星の自己紹介


サポート頂いた際には、英語のスキルを磨くことやオーストリアのサウナ活動に使用させていただく予定です。そのスキルや活動はnoteの記事で皆様に還元できればと思います!