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老いの才覚


【母の介護ニッキのその後】

母が旅立ってから4ヶ月ほどになる。

その後、
残された父を目の前に

兄夫婦と共に  
ある意味必死になって通過してきた。

母が旅立つまでの3ヶ月間と
残された父の介護の4ヶ月間

そんな毎日に

母のことを思い出すということ、
それはどうしても開けないパンドラの箱のよう。

けれど今日、
父が部屋を片付けた時にでてきた
父と母の交換日記をみつけ

父にも勧められ
思い切って開いてみた。

そこには懐かしい母の字が広がっていた。

不思議なことに、
文字をたどっていくと
まるで母の声がする感じがした。

記憶が溢れそうになりながらも
懐かしい感覚をたどるように
言葉を追っていく。

読み進めていくなか
 
ある本のある一節、
そのメモが書かれていた。

曽根綾子さんの
「老いの才覚」

そこには
母が共感した言葉が連なっていた。

「跡形もなく消えるのが美しい」と。

そこには母の死生観があった。

今年に入って母は急に体調が悪くなった時
ある一点の時期を超えたなかで

開き直りの
堂々とした佇まいになったのを
おぼえている。

それはまるで
母の口癖そのものを体現するような

なるようになるわよ、を体現するような。
佇まい。振る舞い。

できることが1日1日に減っていくなか
それと同時に立ち上がる生命の力のようなものを
感じました。

体は衰えたとしても、歩けなくなったとしても、呼吸がうまくできなくなったとしても

それでも、静寂なるなかに立ち上がる命。

とても不思議な感覚でした。

終末期、
母の背中にただ着いていった3ヶ月。

母が何を考えていたのか、
当時は、あえて本人に聞くことはできなかった。

けれど今、
この日記に触れて
改めて母の強い気持ちが
今更ながらに伝わってきた。

死してなお
伝えてくれるメッセージがあるのだな、と。

このメモにはこうつづっていた。
 
「自分の財産とは深くかかわった体験の量。

困難にぶつかっても逃げ出したりせず
真っ当に苦しんだり、泣いたり、悲しんだりした人はいい年寄りになる」

(老いの才覚より)

母はピアノの先生を自宅でしていた。
けれど、バリバリと仕事するタイプではなく
家庭のなかにいる、そんな感じだった。

なので、母のこうした思想
「生き方」についての考え方といったものはきいたことなかった。

亡くなった今にして届いた
母なりの新しい表現方法。
メッセージなのかな、と感じた。

続けてこう書いてあった。

「跡形もなく消えるのが。美しい」

この言葉を私たち家族は知らなかった。
誰も知らなかった。

それでも、

去り際の美学は、
母の人生を閉じる姿を目の当たりにして
肌で感じていた。

そういえば、ピアノの先生を辞める時もまだまだ続けられそうだったのにしっかりと終わらせていた。

大切なグランドピアノも処分して
小さなピアノにしていた。

母の美学は
遺されたものにとっては
辛い感覚にもなるけれども 

あの日以降、魂すら
全くここにいる気配がないのを感じている。

お母さん、うまくいったねっ


去り際の美学をありがとう

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