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いのちを車窓から。

いつだって世界を彩るのは、個人の趣味と、好きという気持ちだ。

「いのちの車窓から」p.154

この一文が胸の懐にスッと潜り込んでくる。

日常から色彩が消え、より一層日々が無機質になってきた時分
この一文が身体性を伴って何かを訴えかけている。

最近、日々や人生の意義について思索に耽ることが増えてきた。
これも季節がそうさせているのかもしれない。

結局好きなもの極めた方が楽しいし、その先に何かが待ってる

友人のこの言葉を聞いて、以前観たスティーブ・ジョブスのスピーチを思い出す。

思春期以降、なにかと意味や生産性を求めて過ごす生き方をしてきた。
意味もなく何かに熱中する人、中身のない話に興じている人を横目に日々を送ってきた。

いのち車窓からみてきた。
追い越し車線にいる気分で、心のどこかでいのちを冷ややかに見てきた節がある。

どこかで人生をマラソン、レースと捉えてきたのかもしれない。
思春期で自己啓発本に触れた影響で、多感な時期ゆえに社会の影響(競争社会・新自由主義・個人主義)をもろ受けてしまったのかもしれない。

もちろんいい意味で影響したところはある。

自分の夢から逆算し、早い時期から目標と戦略を立てることで旧東京専門学校に合格することができた。
思春期から本を通じて多様な思考、思想にふれることで、学ぶことの楽しさを知った。

しかし一方で、自分にいのちが宿っている気がしない。
意気揚々と蠢いていて、その時好きなものに後先考えず熱中するような
いのちが宿っている気がしない。

そんなこんなで、失ってきたものが数多くある。

最近になって、人生とは何かゴールのあるマラソン、レースではなく
まっさらなキャンバスである気がしてきた。

十人十色。みんなが描くキャンバスがそれぞれある。
形や意味の有無に関わらず。色彩豊か、もしくは好きな色一色。

他人に塗られるのではない。自分で塗るもの。

コンクールもないし、審査員に点数もつけられない。

自分の好きなように、思うままにキャンバスを彩る。

途中で作品作りが終わってしまうかもしれない。
しかし、白のままでもそれは何も塗っていないということではなく、
白を塗ったということ。

自分の好きなキャンバスを、自分の好きなペース
自分の好きなように仕上げていくのが人生なのかもしれない。

時として、絵画にいのちが宿ると表現されることがある。

人生とはまさにいのちに従って生き、いのちを解放させてあげることなのかもしれない。


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