いのっち

旧東京専門学校教育学部2年生。 人に見せるというより、自分のアウトプットに使ってます。…

いのっち

旧東京専門学校教育学部2年生。 人に見せるというより、自分のアウトプットに使ってます。 教育にとても興味あります。フィンランドへの憧れたくさん。文字の羅列ではなくて”文字を編める人”になりたい。

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夜明けのすべて。

夜明け。 今日も夜が更け、朝がくる。 この連続は自然の理であり、人間が手を加えることはできない。 夜があるから朝がある 白があるから黒がある 星も、暗闇があることによって自身の輝きを放つ。 世間は各々固有の悩みを抱えて生活している人によって構成されている 決して星は輝いていなくても存在はしている 他の星の明るさで見えなくなっているだけて、存在はしている。 存在としての価値を失うことはない その星なりの生き方と価値がある そこに序列はなく、自身で自身を意味付けす

    • 年越しver.2023。

      ※以下、12月下旬に執筆したもの 刻々と時間が過ぎ去っている。 2023ももう終わる。 ゆく年くる年。 時間の流れを知らせる鹿おどしが、優雅なように見えて、目の下に隈をぶら下げながら、うかない表情をしている。 欲望に塗れたこのまちで、除夜の鐘は煩悩を吐き出す。 そして闇が深くなる。 そんな年越しの繰り返し。 吐息が体を襲い、心まで蝕む。 北風がより一層それを促進する。 この眩暈や睡魔が兎の年のメタファーとなっている。 無の境地。虚無を体感した一年。 超人になれなか

      • 2024年の抱負。

        2024年を考える上で2023年の振り返りは欠かせない。 2023年を漢字一文字で表すとするなら 『忙』 だと思う。真っ先に連想されるように忙しくあっという間に過ぎ去った一年だった。しかし、最もこの漢字が象徴しているのは ”心を亡くした”一年だったということである。 挑戦と引き換えに自分のポリシーやペースを乱していた。 大事なものを見失っていた。 終始どこか焦りがあったし、本来の自分が見えていなかったと感じる。 得るものと引き換えに大切なことを多く失った一年。 対

        • 何者。

          幸か不幸か。 2023年最終盤にしてほんの思いつきから出会い、対話をした。 薄々気づいていた自分の弱さ。 解説で三浦さんがフォローをしているように見えてフォローになっていない。 今この行為、過去の言動行動すらも惨めに思えてくる。 想像力。 腑に落ちる言葉にため息すら出ない。 こころのどこかで誰よりも何者になろうとしている自分。 それ自体を否定しているわけではない。と自分に言い聞かせる。 この作品に関しては、ここで文字にするより 自分の中で咀嚼するべきだと六感が訴

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        夜明けのすべて。

          いのちを車窓から。

          この一文が胸の懐にスッと潜り込んでくる。 日常から色彩が消え、より一層日々が無機質になってきた時分 この一文が身体性を伴って何かを訴えかけている。 最近、日々や人生の意義について思索に耽ることが増えてきた。 これも季節がそうさせているのかもしれない。 友人のこの言葉を聞いて、以前観たスティーブ・ジョブスのスピーチを思い出す。 思春期以降、なにかと意味や生産性を求めて過ごす生き方をしてきた。 意味もなく何かに熱中する人、中身のない話に興じている人を横目に日々を送ってきた

          いのちを車窓から。

          アヒル。

          人生とは川のようなものなのかもしれない。 行き着くところはみな墓場で、そこまでの道のりは千差万別。 調子がいい時は登っているように感じるが、実際は下がっていく一方。 結局皆に与えられている時間は平等であり、 平等に一分一秒歳をとっていく。 そう考えたら少し心が軽くなった気分になる。 日常のイレギュラーも支流に入って流れが変わっただけ。 行き着く先、向かう先は変わらない。流れがゆったりする時もあれば、流れが速い時もある。だけど結局結果は変わらない。なるようにしかならない。

          ひと。

          つながりとは。 無性に孤独が辛くなる。かといって、ずっと誰かといたい訳ではなく1人でいる方が心地よい。 電車の中でカップルを見かけることが多くなった。口から排出される煙からも、人肌恋しい時候に差し掛かったことを実感する。 人は他者を求める 「全ての悩みは対人関係である」と述べたのは私の師とするアルフレッド・アドラーであるがプラトンが生きた紀元前からアドラーの生きた近代、そして今私の生きている現代まで、対人関係にまつわる問いは誰しもが抱いていたのだろう。 今これを書いて

          正欲。

          あらすじ タイトルである「正欲」とは何か。正しい欲。世間一般の正しいではなく、その人にとっての正しい欲。それがこのタイトルの意味なのであろう。 作中における寺井啓喜(稲垣吾郎が演じる役)はきっと社会を擬人化している。”当たり前””普通”それらを強要する姿が印象的に表現されている。 寺井の職業が検察であることが、”当たり前”に権力要素を絡め、 物語のシリアスさをより一層引き立てている要因であろう。 泰希(寺井の息子)、由美(寺井の嫁)、桐生夏月(新垣結衣)、佐々木佳道(