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便箋の2枚目に、僕は手紙を書いた。

彼らとの話を読み返したら、ほぼ忘れてしまった出来事だらけで、文章の途中で立ち止まってしまった。書いておいてよかった。あの夜、編集のTさんに無理やり誘ってもらってよかった。だって、良いことも悪いことも、そのうち僕たちはすべて忘れてしまうのだから。

すべて忘れてしまうから/燃え殻


忘れてはいけなかったことの大半を、覚えていられたことはない。
僕だけ特別、記憶力が足りていないのかと疑ったこともあるけれど、どうやら人間は誰しも、いつかは忘れてしまう生き物らしい。

それであれば、少しでも思い出せるように文章にしておきたいと想う。


先日、祖母に向けて手紙を書いた。
書き忘れていた手紙の返事を書いておきたいと思ったから。



祖母のつくるサバの味噌煮が好きだった

祖母が亡くなった日の夜は、一人で慣れない缶ビールを片手にして、しばらく途方に暮れていた。
祖母は最初、体調を崩しただけだからさ、と言っていた。年末に見舞ったら、管がいろいろと付いた身体をわざわざ起こしてくれて、懐かしい話をたくさんした。記憶が失われていく祖母には、結局最後までお礼を伝える事ができなかった。

僕は、祖母のつくるサバの味噌煮が好きだった。最後に食べたのはもう10年以上前になる。あの頃、岸和田の外れにある僕が下宿していた寮に、祖母は時折手紙を書いてくれていた。

祖母からの初めての手紙は、「りゅうくん、元気ですか?」そんな言葉から始まった内容のもので、書き直した後で所々黒くなっている。よく見ると、何重にも折り目のついた手紙と一緒に1枚のお札が入っていた。祖父が亡くなってから自室にて塞ぎ込んでいた祖母と会話していたのは、当時の僕だけだと思う。

「お金送ります。これで好きなもの食べてください。ぜったい内緒やで」と締め括られていた。

何かと、秘密が好きな祖母だった。
そんな祖母との、秘密の文通がその日から不定期に始まった。


手元からなくなった毎日

祖母は、うまく焼けなかった目玉焼きですらスマホを取り出して写真に収める人だった。蛍が飛んでいたから、近所の人とお茶をしたから、とにかく意味もなく、自分で見ている景色を写真に収めているらしく、「微かに映った祖母の指と蛍」みたいな写真がスマホのフォルダの中にはわんさかとあった。

スマホをプレゼントしてもらってからの2年間で、祖母のスマホは2度容量の限界を迎えていた。天橋立の前でポーズを決める祖母。近所の駄菓子屋の看板。食べかけの駄菓子で溢れかえったゴミ箱。今どきの若者より今を残す人だった。

なんでそんなに撮るの?と聞いてみたことがある。ほぼ撮らない人間としては、そのマメさが不思議だった。

「なんでもないような毎日のことでも、写真を撮ると出来事になって、思い出になるみたいでしょ」こういう祖母の一面を周囲の人たちは好きだったのだと思った。

ある時から、祖母からの手紙には現像された写真が数枚同封されるようになった。新緑に染まった近所の風景を写したものだった。自動販売機、その頃の小学生、猫、リフォームを始めた近所の家、虫に喰われた梅、緑に染まった側溝、軽トラに乗る近所の人々。なぜ、その場面でシャッターを切ったんだろう、という写真で埋め尽くされていた。

そこに映し出される多くのものは、たしかに変わっていく日常の変化を残していて、そんなこともあったような気もする風景が、写真として残されていた。


ある年、祖母の部屋の引き出しの中からスマホを見つけたので、充電して電源を入れてみた。写真のファイルを見ると、もう行くことがない駅で、もう会えない人と、ゆるいピースなんてして映っている写真があった。もう名前も忘れてしまった知人と、2人で奈良の東大寺にてお揃いのポーズをしている写真も出てきた。僕の毎日には、ほとんどなくなってしまったものたちがそこには映っていた。


祖母、バイトをはじめる

僕には忘れられない夏がある。2017年、祖母からの手紙はゆうに30通を超えていた。

その年、僕は「猛暑日」と呼ばれる日に、江ノ島に渡った。江ノ島に訪れた理由は、CMで見かけたことがあったからだった。島の奥には神社があって、江島神社という。旅行に訪れたことがなかった僕は、浮かれながら購入した絵葉書を祖母に贈った。たしか真っ白な灯台が印象的な絵だったように思う。

「いつか一緒に旅行に行こう」と祖母と話したことがある。思えば祖母との約束はほとんどが「〇〇へ一緒に行こう」だった気がする。旅行が好きだった祖母にとって、足腰を痛めてからの近所の散歩ですら彼女にとっては大好きな思い出だったのかもしれない。そんなことを覚えていたから、いつの日か旅行先から祖母に絵葉書を送ってみたいと考えていた。


「さいきん、ホテルのバイトをはじめました。生活のためです。」
珍しく半年以上届かなかった手紙の書き出しはそれだった。ある日から、祖母はホテルの清掃バイトをはじめた。63歳、よく雇ってくれる場所があったものだと呑気に思い、手に持っていた缶ビールを飲み干した。遅れて訪れた思春期を拗らせていたあの頃の僕にとって、親孝行なんて言葉が脳裏を過ぎることなど少しもなかった。

数ヶ月が過ぎた頃、母からの連絡で祖母が入院することになったことを知った。体調を崩しただけだからさ、と祖母と電話したことを今でも鮮明に憶えている。学業よりもバイトが大事で、バイトよりも飲みが好きだった僕にとって、祖母への見舞いは、僕を地元に戻らせる理由にはならなかった。

祖母が亡くなったのは、僕が年末に帰省をして数日が経った頃だった。
告別式で、祖母が仲良くしていた近所の人たちに会った。皆、口々に「あの人はほんと、楽しそうやったよ」なんて言って号泣していた。親族として受付をする中で、時折その人たちから「おばあちゃんがいつもあんたのこと自慢やって言うてたよ」と伝えてくれたけど、素直に祖母へのお礼も伝えられていない僕にとって、すべてが他人事みたいに思えていた。


先日、市役所で順番を待ちながら、雑に流れてくるSNSを眺めていた。その中にあった1つに、”だいたい気持ちの方が僕についてきてくれないから”と書かれていた。彼がどういう意図だったのかは知らない。近々、江ノ島にまた行ってこようと思う。8年かかったけど、やっと祖母に伝えたい手紙の最後が思いついたんだ。



僕も、夏より冬が好きです

幼馴染のSが、「久しぶりにこっちで飲まない?」と誘ってくれたのはもう4年前になる。
「いいね!行こう!」
そう軽返事をしたが、よくよく考えたら地元に帰るのが面倒になってきたのを憶えている。それでも、地元で飲もうと決めたのは祖母のお墓参りに行けてないからということもあった。

当日、指定された地元では有名な駅前の居酒屋に行くと、廃びれた店内に金髪ハイライトを入れた風貌のSが、もういい調子で飲んでいるところだった。
『明日ちょっとでいいから実家に顔出してほしい』そんなLINEが母から届いたのは、僕が酩酊状態だった深夜1時を少し回った頃。あまり憶えていないが「うん」と曖昧な返事を返していたらしい。

彼とはそれから何軒かの店をハシゴした後、次は東京で乾杯しようということで解散になった。翌日、約束通り実家の方に行くと、もぬけの殻となった実家の大掃除を母と妹の2人で行っているところだった。「とりあえずこれ」と渡されたものは40枚綴りの便箋で、開いて1枚目のところには「江ノ島良かったですね」と見慣れた祖母の文字があった。

祖母からの手紙は、祖母が亡くなるまでの4年間で40通を超える。そのうち、僕から返せた手紙は両手の指で足りるほどだった。遅れてきた思春期を言い訳にしていたら、ありがとうすら祖母に伝えることはないまま、祖母は灰になっていた。


手紙も40通を超えると時が経つ。祖母からの届かなかった最後の手紙には、「かんじ、わからなくなってきました」「ホテルでのあだ名は池ちゃん」「私は夏より冬が好きです」なんて、祖母らしい内容のものが溢れていて、筆末にはいつもより少し揺れた文字で「いつもの送ります。ぜったいないしょ」と書かれていた。届くことのなかった手紙を抱えて泣いた。人目も憚らず、声をあげて泣いたのはあの日が最後だった。ラジオでは、コロナウイルスによる緊急事態宣言の延長が流れていた。


伝えられないことの方が多いから

「おばあちゃん、返事遅れてごめん」

先日、祖母に向けて手紙を書いた。
特に封筒に入れるわけでもなく、お気に入りの便箋の2枚目に。

もらってばかりだった手紙に、正直、伝えられてないことをどこまで書き込もうかと思っていたら、近況報告だけで3枚を超えたので、筆を置いた。LINEやSNSに頼り切ってしまった画面越しの言葉ではなく、せめて伝えられなかった言葉くらいは書き残しておきたかった。


伝えられなかったことの方が多かったと思う。伝えられなくても、僕と祖母との関係は平常運転だった。次こそはちゃんと想いを伝えよう。なんて思っていると、大抵そのときは来なかったりする。よく巷で「恩返しをしようと思ったときに、その人はもういない」と言われていたりするけれど、恩どころか、僕は伝えたいことも伝えられなかったことの方が多い。

でも、伝えたいことも、恩も、それを伝えたいものが見つかった頃には、もう伝えられなくなっていたりする。祖母からの手紙を読み返したら、ほぼ忘れてしまった出来事だらけで、文章の途中で立ち止まってしまった。僕からの手紙も、ちゃんと書いておけば良かった。そうすれば、祖母も読み返してくれたはずだから。


祖母の遺品の中には『たからもの』と書かれたお菓子の箱があった。その中には僕から届いた何枚かの手紙の他に、江ノ島からの絵葉書が大切そうに保管されていた。




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