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“神様にフェイントをかける”…から考えたこと

先日ラジオから聞こえてきた言葉が今もまだ頭から離れないんですよね…

“神様にフェイントをかける”

あるパーソナリティの方が昔お世話になった教授から助言されたこの言葉。
自分がこうだと思い込んでいたり、習慣の中で染み付いて判断してしまっているベクトルとは別のベクトルに動いてみるということ。
また、時には逆の判断を敢えてしてみるということ。

まずこのフェイントをかけるという言葉自体がチャーミングですよね。
自分の運命に対してガチガチに身構えるのではなく、なんかゆらゆらニヤニヤ、常に柔らかくリラックスした状態でいる感じがあって。隙あらばどんな自分になっても構わないという無防備さと底知れなさも感じます。

これってすごく大事で、僕も普段から意識してることです。
でもうまく言葉にできなかった。
それに意識はしていてもなかなかできることでもない。
もっと言えばこういう意識を持たなきゃと思っている自分自身がそういう殻を破れないでいることの裏返しだと思います。

だからこういうことを自然にできている人や意識的にチャレンジしている人にすごく惹かれます。

特に役者業を始めてより意識するようになりましたし、周りにもそういう人間が沢山いて愕然とします笑

でもきっとこれは何か現状を打破したり、自分の運命を切り開いていくときには必要な考え方なのではないかなと思います。


今これだ!と思っていることの、その逆は?裏は?上は?下は?などなど考えてみるクセをつける…これは普段から意識すべき事なんじゃないかなと思ったりします。

何か新しい気づきやもっと良くするためのアイデアなんかもホントはこんなところに沢山散りばめられているような気がします。

無意識のうちに決めつけてしまっている価値観とか習慣とか、行き詰まってしまっている原因は実はその反対側にあったりとか。肉体的な面でもたとえば、実は逆の力を使えば、思っていた力の何倍も出た!とか。

すごく抽象的な表現でしたが、自分の経験の中でも行き詰まった時にこそ焦らずに視点を変えてみたことで光が差し込んできたことが沢山あります。

役者業の中では特にそうです。
人間という生き物は多様で多面的な存在であるにも関わらず、ついつい、統計的にというか、ステレオタイプにこうあるべきだとか、こうあってほしいという思い込みに支配されそうになります。
これはとても厄介なクセです。
決めつければ決めつけるほどつまらなくなります。

一見固めていく作業は誠実に見えたりしますが、実は不誠実なことであったりもします。
それよりもひとつひとつの決断や選択に対して一々「なぜ?」と疑問を持ったり、実は裏には?反対に考えたら?とか多面的に見ていくゆとりを持ち続けることの方が大事な気がします。

なかなかこれを小さなところから日々課し続けるのは大変なことですが、壁にぶち当たった時や何か新鮮さが足りないなぁとか、飽きてきたなぁとか、何か変わりたいと思った時にこそこの言葉を思い出したいなぁと思います。

“神様にフェイントをかける”

この小さな遊び心と勇気の行動の先に新しい自分との面白い出会い、成長があるのかなと思いました。

久々にこういう文章を書いてみましたが、少しでも皆さんの日々の力になってくれたら嬉しいです。

河合龍之介




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