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3月13日まであるいは5月8日までマスク強要を続けることの異様さ~精神保健福祉法による強制入院・身体拘束・隔離から考える~

 これを書いているのは令和5年3月6日である。「マスクは個人の判断に委ねる」とされてからまもなく1か月。3月13日と言う日付の意味も、私には何度考えても理解できないのだが、この間もマスクをどうするこうするといった実にくだらない議論が各所でなされている。

 定期航空協会でも3月13日以降は任意とすると言う発表がなされたにもかかわらず未だに飛行機内ではマスクハラスメントが横行しているようであり、JR大阪環状線でも未だに「マスクのご着用を」と言うアナウンスが流れているし、大手百貨店は「マスク未着用入店お断り」の看板が入口に堂々と掲示され、ここでも「マスクのご着用を」と言うアナウンスがしつこく流れている。
 
 実際には飲食店等でも貼紙はあっても入店時にマスク着用を命じる店はほとんどない(2月23日時点ではあった。大阪の地下街ハービス内のアンティコカフェ・オルビスである)。百貨店でも、少なくとも地下食品売り場(最近は地下しか行かない)でも声を掛けられることはない。
 だがそういう問題ではない。看板を掲げ、放送をすること自体が問題なのだ。
 飛行機では未だに強要を続けていることはもはや異様である。

 これらが、3月13日になくなるというのだから、笑止千万としか言いようがない。
 
 マスクの強要は人権侵害である。
 人権侵害を日付を決めてそこまで続けるというのはいったい何なのか?

 この点について、法的な意味を、法律の専門家ではないが考えてみる。
 なぜなら、精神科医は、精神保健福祉法に基づき時に患者の人権を大きく制限することがあるため、人権についてはその他の医師よりも深く理解していなければならないからである(そのはずである)。
 
 具体的には、措置入院や医療保護入院といった強制入院、入院中の隔離や身体拘束がある。ここではその詳細については触れないが、本来全ての国民が有している身体の自由を大きく制限するこれらの医療行為について法により定めているのである。単に「暴れているから」と言う理由だけで行使していいわけではない。その行使に際しては精神保健指定医の診察や本人への告知、文書の作成等の手続について厳密に明文化されている。
 

 そして、このような強制入院や隔離・拘束の事由が消失した場合は、「速やかに」これらを解除しなければならない。そしてその解除は、精神保健指定医でなくてもよいのだ。
 措置入院に関しては、精神保健指定医が症状の消退を確認し「措置症状消退届」を提出しなければならないが、医療保護入院の退院については指定医資格のない医師でも構わない。また、身体拘束や隔離を解除する判断は、究極「誰でも構わない」のだ(厳密にいうと事後に指定医の追認を記載する必要がある)。
 もちろん、病院という組織内における現実的な運用上、医師に確認を取ることがほとんどである。
 が、法律上の流れについて言うと、患者の身体の自由を一時的にせよ奪う場合には様々なルールが定められているのに対し、解除については「速やかに・誰でも」と言う大原則がある。これが、私が精神科医になったときに最初に教わったことである。
 
 従って、隔離や身体拘束が行われている患者に対し、ある程度症状が落ち着いてきて「そろそろ解除しようか。」と言うことになったとして、その行動制限の解除の日時をあらかじめ〇月〇日〇時〇分まで決めた上で症状がないのに延々と行動制限を続けるなんて言うことは絶対にあってはならない。
そんなことが行われていたとすれば直ちにその病院・医師は患者を虐待したとして処分の対象となるだろう。
 
 この大原則は基本的人権に則ったものであり精神保健福祉法だけの世界の話ではないはずである。

 もはやコロナは、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」で定められている『全国的かつ急速なまん延のおそれのあるものに限る。』状態ではないにも拘らず、5月8日まで一般市民の私権を大きく制限できるこの特措法は施行され続ける。不思議でならない。異常事態だ。

 マスクの着用もそうである。岸田首相が「個人の判断に委ねる」と明言したその瞬間から(いや、もとより任意であったはずなのだが)、看板は撤去され放送は中止されなければならない。

 国が国民の私権を制限する際には厳格な手続きを経なければならない。逆にその要件が消失した場合には直ちに、「やめなければならない」のだ。
 
 国民は自ら自由を放棄し、事業者は人権を奪い続ける。
 この国は、どうかしている。

~おわり~

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