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4月11日 観察眼という力

ついさっきとあるラジオを聴いていてふと思った。俺には「観察眼」がある程度備わっているということに。(冒頭から1人称を俺としている点、非常に興味深い)
僕は小学校から今まで、常に人の顔をうかがいながら生きてきた。                       これを皆が聞けば「そんなウソを、よくもそんな堂々と」と口をそろえて言うだろう。
しかしこれは紛れもない事実である。根からの小心者なのだ。
よく人は「他人の顔ばかり窺っていないで自分の思うとおりにやってみろ」と他人を鼓舞するが、これがわずかながらできるようになったのは大学に入ってからのこと。
環境の変化がもたらした大きな財産である。

それはさておき、こんな性格を僕は長い間変えたいと思っていたが、徐々にそれを自分の大きな武器だと認識するようになっていく。他人との距離感をつかむスキルというのは先日も書いた通り大切な能力であり、仕事上での「気遣い」だとか、旅先での危機回避や交渉など様々な場面でその能力は発揮される。(とはいっても他人の心情を完全に読み解くというのは不可能なので、いわば「勘」の世界ではあるのだが)
また僕は大学3年になってから大学の敷地を事後承認という形で開墾し、野菜栽培を行っていなのだが、そこでさらに観察眼という力に磨きがかかった。ただ、野菜というのは本当に力強いもので自立していける存在ではあるのだが、その一方で彼ら彼女らは非常に繊細な一面を持つ。                    人間と同じで、一秒たりとも生きていて姿、形が同じ日なんてない。

その繊細さに「気づける」かどうかが野菜栽培の肝であり、そんなこんなで僕の眼は更なる進化を遂げたのだ。(大仰)
何だかエントリーシートのようになってしまった。
おやすみ。AM2:10

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