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ホフステードという越境者

ホフステード博士の功績については、ホフステード・インサイト・ジャパンの宮森さんが追悼の言葉とともに丁寧にまとめてくださっています。これに付け加える形で、ここには書かれていない「研究者としてのホフステード博士」について回想したいと思います。

遅咲きの研究者

「人生はマラソンのようなものだ」と言った人がいました。人生の前半に華々しく注目された天才が早々に隠居状態になってしまうこともあれば、人生も後半戦に入って輝かしい実績を残す人もいます。要は最後まで走りきってみないことには、わからないのが人生ということでしょうか。

ホフステード博士の人生を振り返ると、あれだけの功績を残した研究者ならさぞかし輝かしいアカデミアのトラックレコードを持っているのかと思いきや、実は大学純粋培養の研究者ではありません。彼の最初のキャリアはエンジニアです。製造業の工場管理職として働いていたホフステード博士は、その後IBMの人事リサーチ部門を経て、アカデミアのキャリアに足を踏み入れます。

これだけ聞くと、実務経験のある研究職の人なんだなーくらいしか感じないと思いますが、大学から専任研究者としてのオファーをもらった時の年齢はなんと57歳だそうです。そこから今につながる業績を積み上げていったわけです。こういう言い方をすると失礼ですが、遅咲きという意味ではアカデミア界のカーネル=サンダースおじさん(65歳でケンタッキーフライドチキン創業)といっても過言ではありません笑。

私がアムステルダム郊外のホフステード博士のご自宅に伺った時、彼は自身のキャリアを振り返りながら「セレンディピティだった」なんて軽くコメントされていました。しかし、私の知る限り、実務出身者が簡単にキャリアチェンジできるほどアカデミアの世界は甘いものではありません。想像ですが、ずっと大学で研究をしていた研究者からすれば「異端」と映るでしょうし、目の敵にされることもあったでしょう。

何といっても、これは社会人教授が受け入れられている現代ではなく、1980年代の出来事です。「価値観の異なる他者といかに理解しあうか」は彼の研究テーマだっただけでなく、ご自身の課題でもあったのではないでしょうか。

領域侵犯を行う怖さ

彼ほど、1つの肩書きで言い表すのは難しい学者もいません。社会学者、経営学者、組織心理学者、文化人類学者、etc。通常、こういう曖昧な状態は学者として不名誉だと思われがちです。なぜなら、博士の称号は専門領域の「深さ」を表す称号であり、それが足りないという意味にも捉えられるからです。真面目な研究者であるほど、自分の得意領域から出ての領域侵犯はしにくいはずです。

しかし、ホフステード博士の場合、研究に必要な「深さ」と「広さ」を絶妙なバランスで保っている稀有な存在だと言えます。学者としての評価は論文の引用数を見れば明らかですが、彼の著作「多文化世界」を読めば、その知見の広さに圧倒されます。これが学者が書いた本とは思えないほど、古今東西の見識を「ギュッ」と絞り込んで、説得力のある独自解釈を行っています。もちろん、これにはそれなりのリスクを背負う覚悟が必要ですが(彼もまた多くの学術的批判を受けている学者の一人です)

昨今、社会課題が1つの学問領域だけでは解けないほどに複雑化したことから、隣接する学問分野で共同しながら課題解決を考える「学際的研究」というものが必要だと言われています。しかし、これは口で言うほど容易いものではありません。良い意味で、自分の専門外に飛び出し領域侵犯を行うためには、批判を受け入れる「覚悟」とコンフォートゾーンを抜け出る「勇気」が必要です。これは私が実務の世界でも起きていると感じることで、それを身を持って示してくれたのがホフステード博士でした。

このように「ビジネスの現場から研究の世界へ」「1つの学問から学際的研究領域へ」という2つの越境を経て、彼は現在のホフステードとなりました。自分の居心地の良い世界から出て新しいことにチャレンジするのは怖いことですし、「なかなか思い通りにいかない」という不快感が必ず伴います(それがないうちはまだ元の世界にいる)。しかし越境行為を通じてその不快感への対処の仕方を覚えることは、自分を飛躍的に成長させてくれるきっかけになるのかもしれません。

次回からは文化の違いが私たちのビジネス商習慣に与えている影響や、彼の残した国民文化モデルについてざっくばらんに書いていきたいと思います。

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