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祖父の自伝(15)〜衛戍衛兵と中島二等兵後編

私の祖父
ぶどう狩りのマルタ園初代園主、中根武雄が生前書き残した自伝です。

時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ
自分のルーツに思いをめぐらして見たいと思います。

第三部 軍隊生活と青年学校


その八
衛戍衛兵と中島二等兵
(後編)

一月、初年兵が入営した中で幹部候補生志願者が10名いた。
その中に中島信一という名古屋出身日本大学卒29歳がいた。
ある日曜日
「班長殿、親が面会に来るから会ってはいただけないでしょうか」
と言う
「よし面会しよう」
と会った。
20分ほど雑談して別れる時に
「地方の煙草です。どうぞ」
とバットをくれた。
部屋に帰って来て、いつも軍隊の誉れは吸っている。変わったタバコも良かろうと開けると中に十円札が入っていた。当時とすれば大金である。

初年兵の1ヶ月の俸給が5円50銭。
約2ヶ月分である。
息子が可愛い、中島を頼むと言う意味であろうが懐に入れる事は出来ない。いくら貧乏はしていても、正直は最善の策を取らなくてはならない。
上に立っている者は、みんなの目が光っていると思い中島を部屋に呼んだ。
「今日父親が小遣いとして十円班長に預けていった。中島に小遣いとしてやることは出来ないぞ。皆んな同じように俸給をもらっているはず。余分なものはすぐ貯金せよ」と渡した。

後日面会に来た時、中島が一部始終を親に話すと
「お前が世話になるからと思ってなぁ、、、潔白な見上げた班長だ。親の俺が恥ずかしくなる。信一よく見習っておけよ。」
と言われましたと話してくれた。

その後も2回ほど面会をした折にも菓子を持ってくる。見ず知らずの班長に面会する必要もないが、息子可愛さの上出来ることである。中島を班長室に呼び古兵も一緒に食べてやった。

中島も幹部候補兵として予備士官学校に転属する事になった。立派な将校になるように見送り祈ってやった。


軍隊生活 その九へ続く

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