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母親の何気ない一言で涙

今回は、僕が小学校6年生の時に母親に言われたとある一言の話をしようと思います。

僕が体調を崩して病院に連れて行かれる、とある日の出来事です。

我が家の車は廃車にしてしまって、移動手段は母親の自転車のみだったので、自転車の後ろに乗せられて移動中のことでした。

母「たつやが大人になったら、結婚して家を建てたりすると思うけど、お母さんも小さな小屋でいいから近くに住ませてくれる?

僕「え・・?・・・もちろんいいよ!お母さんも一緒に住めるくらい大きな家建てるよ!」

この時、なんでこんなこと聞いてくるのかな?ってビックリしたんですよね。

僕が母親を捨てるわけがない。

だからなんで、「捨てないで」的なニュアンスのことを聞いてくるのか分からなかったんですよ。

それに空気的に、冗談めかして聞いてきたけど、本気で聞いてるんだろうなって感じがしたんです。

結婚したら母親のもとを離れるのが一般的ってことは僕もちゃんと理解していました。

僕からすれば、母親は人生の目的の大半を占めていたし、母親への恩返しとか贖罪の気持ちがずっと心にあったから、答えは決まっていたんです。

たぶん、母親はこのときから悩んでいたんでしょうね。
このまま一緒に住んでいたら、僕たちのためにならないんじゃないかって。

それで、もし僕たちと離れて暮らす選択を取ったとき、将来また一緒に暮らしたいって気持ちが言葉になったのかなって、今なら思います。

この出来事の数カ月後に、僕たちを施設に預けようと思ってるって話を聞かされたので、きっと間違いないかと思ってます。
その話はこちらから。

でも、当時の僕はもちろんそんなこと知らないし、気付きもしなかったので、ただただ疑問でした。

子供にこんなことを聞いてしまうくらい、追い詰められていたんだなって考えると、涙が出てきちゃいます。。。

僕の気持ちは、あの頃から変わっていません。
僕が母親を守る。

その決意は、今も変わらず持ち続けています。

たとえ、母親は僕より兄の方が大好きなんだとしても、僕の気持ちは変わらないです。

ということで、本日のまとめです。

子供の頃に言われた何気ない一言。
今でもはっきり覚えているくらい、心に残り続けています。

トラウマとは違う、覚悟とか決意とか、そういう類の気持ち。

母親の心境を思うと、今でも涙してしまうくらい、自分の中では衝撃的な一言で、あの場面がしっかり脳に焼き付いています

今はもう、母親は覚えていないでしょうね。
でも、僕が覚えています。

そして、これからの自分としても、覚悟や決意を忘れそうになった時にこのことを思い出そうと思います。

そんな、僕の思い出と覚悟のお話でした。
ご拝読いただき、ありがとうございました!


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