足るを知ることは、幸せに気づくこと。

穏やかに生きたい。

今日も今日とて、ふわーっと思ったことを書いていきます。

今日は、ちょっぴり心が楽になりそうな考え方についてのお話。

足るを知ることで感じられる幸せ。

今あること、今持っているもの、今までで得たもの蓄積したものに目を向けることで、意外とたくさんの幸せに気づくことができる。

そう思うんです。

逆に、「まだ足りない」「もっと」という欠乏感によって狭まっている視界と、見落としてしまう幸せがたくさんある。

と思うんです。

例えば、、
今履いているスニーカーが、まだ十分履ける状態であるにも関わらず新しい靴を買った。
生活したり趣味を楽しむには十分の額を稼いでいるけれども、まだ足りないと仕事を頑張り続ける。
などなどなど。

でも、もしかしたら、、
「よくよく思えば、今のスニーカーでも十分履けてるし愛着あるなぁ。」
「よくよく思えば、今の額でも人生楽しめてるなぁ。」
となるかもしれません。
ならば、スニーカーも今の収入も十分自分を満たしてくれて幸せにしてくれている、かけがえのない宝物たちなのではないでしょうか。
とかく、今の時点でも幸せを享受できているということ。

ここにたくさん気づける人は、日ごろからたくさんの幸せを感じることができている人。

そんな人が少なくとも僕は素敵だなと思いました。

「まだ足りない」と思っているということは、先の未来を見すぎているということ。
もっとこうなったら、もっとこうしたら、と先ばかり見ている。
その理想に対して、今の自分は足りていないと評価している。

これだとどうしても、現状を軽視してしまいがち。
すると、「今時点でもこれだけ楽しめるよ」「これだけ成長できたよ」という本来ならプラス評価できることについても軽視されがち。

このときに、「意外と今でも十分幸せじゃん?」ということが多いと思うのです。

そもそも、少ない状態で幸せになれるに越したことない。と思う。。


とはいえ、どれだけの量で幸せを感じられるかは人それぞれ。

それでも、「自分がどれだけの量で幸せかを理解すること」そして、「今時点でどれだけの量があるのかを正確に評価できること」は誰しもにとって大事なことだと思います。

また、前者については体感的に感じ取るもの。
特に、今の持っている量に対して「これでいいじゃん」と感じることがそれにあたると思っています。

つまり、重要なのは後者。
「今時点でどれだけの量があるのかを正確に評価すること」

そんなこんなで、「たまには今時点で持っているものに目を向けようよ」
と。

成長も、今を軸に、昨日の自分と比べて。

とはいえ、欠乏感がもたらす成長欲求があるじゃないか!という方もいらっっしゃるかもしれません。

それも素敵な価値観だと思っていますが、
これに対して僕が考えていることとしましては。。

欠乏感がもたらす成長欲求は先ほども書いたように「未来」から今を見ている状態。


僕が目指したいのは
過去から今を見る状態。

どういうことか。

僕の思う成長とは
”昨日の自分と比べて”、今日の自分は少しできることが増えた、できなかったことができるようになった、新しいことを知った、見えている世界、知っている世界、できる世界が広がった。
ないしは、
”昨日の自分と比べて”、少し練習した、努力を積み重ねた。
というもの。

ここを軸に据えるということ。

もちろん、まったく未来が必要ないわけではなくて、未来は、自分がどの方向に向かって努力するのかを決めてくれるコンパスであり、大切なものです。

ただ、それはあくまでコンパスであって。
重要なのは、今自分がどこまで歩いてきたのか(進んできたのか)ということであり、歩くことができている自分の体と実際歩んでいる行為そのものであると思うんです。

成長とは、「蓄積」であると思うんです。

今まで学んだこと、積み重ねてきたことを愛でる。
今学んでいること、学ぼうと努力していること、練習していること、努力できたことを愛でる。
その結果、今学んだこと、できるようになったことを愛でる。

これが特に重要だと思うのです。

これまでの自分に感謝して、今できることに感謝して、そして今チャレンジしていることに感謝して、新しくできるようになったことに感謝をする。

この幸せの蓄積の軌跡(振り返ってみて初めて見えるもの)が、成長なんだろうと思います。

「未来」に押しつぶされないように、過去と今の幸せに目を向けて楽しく充実した人生を送りたいと思った今日この頃です。



みなさんの幸せは何ですか?
みなさんの成長欲求はどのように湧き出てきますか?

(よかったらコメントで教えてください😊(その他ご感想、ご意見もお待ちしてます😊))

今日は以上です。
またね。