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♯2 ド田舎での12年間。

みなさんこんにちは。
馬場 龍翔です。

https://note.com/ryuka_1258/n/n171f8aa99997

 上記の記事見ていただけると物凄く嬉しいです。

 見ていただいた方はわかると思いますが、自分と同じ夢や考え方を持っている人と繋がりたいと思い、noteを始めたんです。

 けど、僕...。過去の事を話すのが好きなんです。だから、語ります。そして、なぜ自分が2つの夢を見つけ、叶えようとしているのかを書いていこうと思います。

0歳〜保育園時代

 私はとある病院で、生まれました。
生まれた直後、自分は小さな心臓に穴が空いてたらしいです。けど、成長するにあたって体も大きくなるから自然と心臓の穴は無くなっていきました。ですが、自分は喘息持ちだったのです。小さな腕に大きな注射。何回も何十回も入退院を繰り返していました。また、よく熱を出し、冷えピタと大量の粉薬。弱い体でした。
 そんな弱い体でも、ボール遊びが好きだったんです。そのボール遊びがいつの間にか、ボールを父や祖父が手で輪を作り、その中に入れる遊びに変わりました。そして、いつの間にか、バスケを始めていたんです。父が中学・高校とバスケをしていて、また、新潟のプロバスケットボールチームの応援によく行っていました。なので自分もそれについて行ってよく応援に行ってました。あの、大きな観戦、心臓に強く響くマイクの音。今でも鮮明に覚えています。いつの間にか、バスケの虜になっていたのです。なので、遊園地や公園に行った記憶が全くありません。笑笑
 大体週末は、体育館でした。けど、それが幸せだったのです。背番号12番を着ける憧れの選手に出会い、いつの間にか、自分もここに立ちたいと思うようになりました。それが、私の1つの夢を見つけ、叶えようとしたきっかけです。

 保育園の年少?年中ぐらいでプロチームのスクールに入り、バスケを本格的に始めました。家では、茶の間にリングと家の車庫に祖父が作ってくれたリングに日が暮れるまでバスケをしていました。あの頃は、本当に無我夢中になり、やっていました。

 保育園では、問題児でした。よく怒られてた記憶があります。年長なのに、年少さんと同じ部屋に行かされたことも多々あります。本当にやんちゃでした。

小学校時代

 小学校に入学してからも、スクール活動を行いながら、ミニバス(12歳以下により行われるバスケットボール競技のこと)に小学1?2?年の頃、隣地区のチームに入部しました。そのチームは、県優勝するチームでした。小学生なのに体育館100周をしたり、1日練を当たり前にやるチームでした。また、最高の仲間に出会えることもでき、毎日が楽しかったです。しかし、自分は地区が違うことが理由で公式戦には出れなかったのです。ものすごく辛かった。けど、自分は公式戦に出たかったので、同じ地区のチームに入部することになりました。そこでも、最高の仲間に出会えることは出来ました。そこでは、公式戦に出れるけど、前所属していたチームとは違く、ものすごく弱かった。
 しかし、4年生以下の大会では、県大会に出場することもできたし、6年生になってからは、新潟県選抜にも選ばれました。新潟県選抜に選ばれたのは、嬉しかったけど、レベルの高さに驚かされ、最初の方は全く何もできなかった。しかし、最高の仲間と一緒にプレーをし、少しずつ上手くなっていることが実感できた。そんな時、中学校でも一緒にプレーしたいなって思うようになり、自分は大きな決断をすることになる。

 学校生活?それは、相変わらず問題児です。自分たちの学校は、バス通学なのですが、帰りの会が終わって帰ろうとしたら、先生に呼び出しされて、職員室や教室で説教です。母にはちゃんと謝りたいと思います。

最後に

 長々と申し訳ありませんでした。けど、これでも短くした方です。

 ですが、自分の1つの夢を見つけたきっかけを書きました。この夢は今でも強くない思っています。そして、頑張っています。

 次回は、今回にみたいに中学校時代と高校時代について書こうと思います。
ここで、2つ目の夢を見つけることになります。

現場からは以上でーーーす。

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