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恋愛脳の断片

ここ最近、色恋関連で考えたあれやこれやをそのままメモ書き感覚で残しておくことにする。

・気づけばもう40半ばになって、もうこれから自分のことを恋愛的な意味で愛してくれる人は1人も現れないのではないか?と思って絶望してしまうという事案があった。極端な話、20代とかの女の子が自分を恋愛対象として見てくれるなんてことはもうないと思った方がいいだろう。とても恐ろしいことだが、現実を見るべき時なのかもしれない。

・誰でもホイホイと好きになるタイプだと思っていたが、これまで自分が『好き』だと思っていた感情は、『興味/関心』なのではないかとふと気づいた。『興味/関心』くらいの感情で遊びや食事に誘うし、肉体関係を持つことだってある。向こうは『好き』だから深い関係になったのにこちらは『興味/関心』だから変なズレが出来て、こちらが『好き』になった頃にはそのズレによって向こうが離れてしまう……みたいなことがよくある人生だったように思う。

・やめろ!それ以上近づくと好きになってしまうぞ!と、仲良くなった人と距離を置こうとしてしまうことがある。好きになってしまうと友達関係は壊れてしまうし、結局つらい思いをすることになるからね。恋愛感情なんかなければいい感じのお友達でいられるのに。あ、これがハリネズミのジレンマってやつなのかな?ちょっと違うか。

・自分は複数愛者的な恋愛観で、同時に複数の人を好きになったり時には複数の恋人(またはそれに準ずるような相手)を持つこともあるのだけれど、信頼出来る人にそれを話して、え!?とリアクションをされるとそこそこ傷つくようだ。人には人の恋愛観、別に万人に受け入れられるものじゃないことは自覚しているつもりだったけど、やっぱり自分のアイデンティティは認められたい欲があるのだな。

・年明けくらいから同じ職場にいる若いやつの苗字が、そういえば元カノと同じだということをつい昨日認識した。どうしてこれまで何とも思わなかったのだろう?もう何年も連絡していないが元気にやっているだろうか?娘さんももう小学校に上がったくらいかな。

・例えば失敗を恐れずチャレンジすることが求められるような場で、『恋人がいる』というのは大きなアドバンテージになるように思う。どんなに大きな失敗をしても、何度失敗をしても、それでも自分には愛してくれている人がいる。それは失敗を恐れないためのセーフティネットとして大きく機能するものなのではないか。それを持つ者と持たない者とではチャレンジすることへの姿勢や失敗からの快復に差が出るのではないか……という仮説を持っている。

・何となく人恋しい夜に、アイツに会いたいなじゃなくて誰かがいたらいいのになになるのは、特定の恋人がいない時の寂しさだなと思う。

・恋愛なんて別になくても生きていけるのに、それでもそれがないと味気ない。まるで○○みたいだねといい感じの例えを出して終わりたかったのだけど何も思いつかなかった。何かの調味料とかかなぁ。

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