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なるはや

『なるはや』は『なるべく早く』を省略した略語である。ここ数年で世に浸透して市民権を得た感のある新しい言葉のように思われているが、兵庫県の一部の地域では古く平安時代から使われていたようだ。どうやら日本神話の那流速命(なるはやのみこと)から取られたのだという説が有力視されている。

那流速命は日本神話に登場する神様のひとりであり、大変に走るのが速いことで有名であった。那流速命の足の速さを示すエピソードが残っている。那流速命はある時、神様の怒りを買ってしまう。神は那流速命の首をはねて殺そうとしたが、那流速命は妹の婚礼の儀に出席するまで処刑を待って欲しいと命乞いをする。神は那流速命に3日間の猶予を与えると、那流速命は遠い故郷の村までまる一日走って帰り、妹の婚礼に出席した後にまた走って戻ってきた。神は那流速命の健脚と、約束を違えずに戻った忠義に免じてその罪を赦し、那流速命の名を与えて神として召し上げた……という話である。そう、かの太宰治の『走れメロス』の元ネタになったとも言われる話である。

那流速命が走って帰った故郷が、今の兵庫県の南部であるらしい。古今和歌集を編纂した際の下書きだとされる書が現存しているが、そこにはこんな和歌が残されている。

なるはやの文待つ夜のはたむれに
見上げる空の月ぞかけゆく

(なるべく早くと送った手紙の返事を待つ間の夜の暇つぶし‎にぼんやりと見上げた空を月が欠けながら走っていくようであることよ)

おそらく恋文であろうと思われる手紙の返事を待つ待ち遠しさを詠んだ、詠み人知らずの歌であるが、残念ながら古今和歌集に収録されることはなかったようだ。

デザインの仕事をしていると、「なるはやでお願いしますよ」などと注文を受けることがたまにある。経験上、そういう客は大抵面倒臭い。昨日久しぶりにこれを食らって、そういえばと思いついた、『なるはや』の語源についての嘘の話である。

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