見出し画像

拠り所のない男のぼやき

ここ数日どうも少し落ち込んでいる。原因になるような大きなことがあったわけではないが、些細なことがいくつか重なって落ち込んでいるようだ。どうせしばらく経てば勝手に些細なことで元気になる。人間なら誰でもあるような、ありふれたメンタルサイクルのひとつの波だ。

なんというかこういう時に、「自分は○○だから大丈夫だ」と立ち返る場所があったらいいのになと思う。有り体に言うならば心の拠り所というやつだろうか。例えば恋人や家族、でも僕にとってそれはどちらかというと立ち返ることの出来る心の拠り所と言うよりは、落ち込む原因になるような些細なことをもたらす対象であることの方が多かった。ありふれたメンタルサイクルの波に乗って、拠り所にもなり得ただろう恋人や家族から距離を取って離れてしまう。思えばこれまでそんなことの繰り返しだったなと思う。

愛されたいと希いながら、同時に愛を遠ざける人生だった。なんと愚かなのだろう。と、こんな自虐的なことを書いて悦に浸っていくらかの自尊心の快復を試みようとしている自分も嫌いだ。あぁ自分は愛されていると心の底から信じられた経験がほぼない。知らないものを信じるのはとても難しいし、成功体験のないものに縋るなんてことは到底出来ないものだ。愛に包まれるとか凭れ掛かるという感覚はどんなに甘いものなのだろうか。僕にとって愛とは、必死に追い求めて縋りついて、ようやく手が届いたと思ったらすぐまた消えてなくなるものだった。そんなことないよと言う人がいる。はいはいそうでしょうね、だってあなたは誰かに愛されているんでしょう?そりゃああなたにとってはそうでしょうよ。当たり前に愛されている人とは根本的に相容れない、理解し合えないのだろうなという絶望がある。

さて、僕は何を書こうとしたのだったろうか。自分が落ち込んでいるということ、こういう時に立ち返る拠り所が欲しいということ、おそらく僕が求めるその場所は『愛』なのだろうが僕にはそれがないということ……ふむ、ここまでは分かった。さてここからどうまとめればいいのだろう?これを読んだ誰かから、「愛しているよ」と連絡が来る、そんなハッピーエンドを思いついた。おそらくその愛を、僕は「適当なこと言ってんじゃねぇよ」と拒絶するのだろう。そんな自分も嫌いじゃないよと、そんなことを言ってくる自己愛さえも拒絶して、僕は僕の城の奥深くにある魔法の鏡に問い掛ける。

「鏡よ鏡、私のことを愛してくれているのはだあれ?」

割れた鏡の中、映る君の姿。

よろしければサポートいただけると、とてもとても励みになります。よろしくお願いします。