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はんぶん

うちの大学はかつて、半人半獣の人と半獣半人の人とでクラスが分かれていた。便宜上、上半身が人だと半人半獣、下半身が人だと半獣半人と分類されるわけだが、上半身が人の半人半獣の人たちの方が社会的にも優遇され、半獣半人の人たちは不当な差別を受けていることはかつて大きな社会問題となっていた。

差別ではないと言う側の理屈も分かる。上半身が人間であるという共通点があれば、異種族間であっても発話によるコミュニケーションを取ることが出来る。社会を形成するにあたって、たとえ種族による価値観の相違はあっても、発話による意思の疎通が容易であるということは最優先されるのだ。これは仕方のないことなのだ、という言い分である。ケンタウロスと人魚は言語でコミュニケーションを取ることが出来るが、発声器官に差異のある馬人間と半魚人だとそれは難しくなる。

実際、半獣半人クラスの授業は入学前に入念なカウンセリングが必要だった。コミュニケーション方法、聴覚器官の差異による音声認識の可否、文字を書けるか読めるか。大学側も出来る限り便宜を図ってそれぞれの半獣に寄り添う形で個別に指導出来る方法がないかを模索、提案するようにはしているが、残念ながらカウンセリングの結果、受け入れが難しいと判断され入学を断られることも多い。いや、多かった、と言うべきだろう。精神感応(テレパス)による意思疎通デバイスが開発されるまでは。

T-LINKシステムと呼ばれる精神感応デバイスの流通は、これまでは発話によるコミュニケーションが主体だった社会に革命を起こした。とりわけその恩恵を受けたのは半獣半人だった。コミュニケーションが困難であるが故に社会進出を阻まれていた半獣半人たち。彼らが気軽に社会進出を果たすようになり、実は知能が高く、人間タイプの脳とは発想も異なる彼らの知見によって多くの分野で革命的な技術革新が起こった。半獣半人は就職や進学で優遇されるようになり、逆にこれまで優遇されていた半人半獣は半獣半人に押し出されるような形で不遇を被り、一次産業に追いやられるようになった。半人半獣の就職難、貧困化、それはデモや学生運動に繋がった。やがて世界を二分する戦争になったのは必然だったのかもしれない。

文字通り世界の半分が焼き尽くされ、我々は多くの同胞を失った。ここで言う同胞とは半獣半人だとか半人半獣だとかそういうことではない。すべての生きとし生きるものたちのことだ。奇跡的にほぼすべての施設が残ったうちの大学は、我々が平和を、文明を取り戻すためのシンボルとなった。かつてのようなクラス分けはもう存在しない。半獣半人も半人半獣も、平和を愛し隣人を愛するすべての若者たちが共に生きる未来を築くために学んでいる。世界の半分を焼き尽くした憎しみを捨てて、我々はその焼け野原に慈しみの花を植えようとしている。手を取り合って、或いは触手を絡ませて、我々は共に生きる未来を踏み出したばかりだ。

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