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神殺しの剣

それは数千年前にあった神々と人間の戦いで邪神にとどめを刺し平和をもたらした剣だとされ、『神殺しの剣』と呼ばれていた。刀身は今も錆びずに輝き、国宝として国立博物館の奥に展示されていた。

弾道ミサイルに神殺しの剣を搭載して敵国に撃ち込むという案を最初に言い出したのが誰だったのかについては諸説あり、今となっては誰だったのかはっきりしない。おそらく与党の誰かが苦し紛れに出した案だったのだろう。しかしその馬鹿げた計画は長く続く戦争に疲弊し平和を望んだ国民たちの支持を集めることとなり、計画は実現に向けて粛々と進められた。そしてついにその日が訪れた。

神殺しの剣を搭載したミサイルには、『平和』を意味する古い名前が与えられた。定刻通りに重巡洋艦から発射された弾道ミサイル『平和』はまっすぐに敵国に向かって飛び、90%を超える迎撃率を誇るはずの迎撃システムの網をくぐり抜け、見事に首都の郊外に着弾した。標的とした首都の郊外には工場地帯があり、そこでは戦闘機のエンジンが作られていた。神殺しのミサイルによって起きた火災はテスト用の燃料に引火し、恐ろしい規模の爆発火災が起きた。その煙は我が国からも観測出来た程だった。工場には壊滅的な打撃を与えることとなり、それは予想を遥かに上回る戦果であった。

休戦に向けての会談が行われて戦争が終結したのは、敵国からの報復の新型ミサイルによって我が国の主要都市2つに甚大な被害がもたらされてからだった。一体何万人の人が亡くなったのか、正確な数字は今も分かっていない。戦争の責任を、とりわけ報復行為を呼び込むきっかけとなった神殺しのミサイル計画の責任を追求された与党は政権を失い、戦争の事後処理は共和党政権によって行われた。

大いなる犠牲を払った上にではあるが、神殺しの剣によって平和がもたらされたのはこれで2度目になる。焼け野原となった工場地帯では後に大規模な発掘調査が行われ、やがて神殺しの剣は見つかった。爆発の中心にあったはずの神殺しの剣だが、それでも刀身は折れず曲がらず輝いていたのだそうだ。剣は今は敵国の国立博物館に展示されている。

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