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ぬいぐるみが取れずに世界を呪う

昨日の仕事終わりの話。今週はとても忙しく、とりわけ昨日は特にハードで、僕はくたくたに疲れ果てていた。しかし僕はくたくたの身体に鞭を打って秋葉原へと向かった。どうしても欲しいぬいぐるみがあったからだ。

僕が欲しかったぬいぐるみはゲームセンターのプライズコーナーの景品だった。調べてみたところ、都内でも数ヶ所のゲーセンにしかないようで、僕がわざわざ秋葉原まで行ったのはそのためだった。地図で検索し、目当てのゲーセンまで辿り着く。店内を少し見回すと、すぐに目的のぬいぐるみを見つけることが出来た。1000円札を100円玉に崩し、僕の挑戦が始まった。

そのゲームは、シンプルに三本指のアームで景品を掴むタイプのクレーンゲームだった。1ゲーム100円、500円入れると1回おまけで6ゲーム挑戦出来る。僕は迷わず500円を投入した。1回目、アームはぬいぐるみを掴み、一瞬そのぬいぐるみはふわりと浮かんだが、そのままスルスルと爪をすり抜けてへにゃりと落ちた。難しそうだな…。2回、3回、それを6回繰り返した。もう500円…もう500円…。しかし、何度繰り返しても、『取れそう!あぁ惜しい』という実感さえひと欠片も得られないまま、ぬいぐるみは時折その身体の向きを変えるだけでそこに鎮座し続けた。

無邪気にエールを送る機械の声を聞くたび、すべすべとしたぬいぐるみの柔肌をただ撫でて滑ってゆく銀色の爪を見るたび、段々と自分の心を虚無が蝕んでゆくのが分かった。私は一体何をやっているのだ?仕事終わりのくたくたに疲れた身体で、わざわざこんな思いをしに来たのか?お前はどうしてそんなにクレーンゲームが下手くそなのだ。虚無はやがてドス黒く渦巻く呪詛へと変わってゆく。どうしてこんなに金を使っているのに取れないんだ!俺がこんなにも悔しくて悲しくて辛い思いを味わっているのに、一方でこの同じ瞬間に幸せな時間を過ごしている人間どもがいることがどうにも許せなかった。こんなに仕事を頑張って、こんなにもこのぬいぐるみを欲しがっているのに、どうしてこんなにも取れないんだ!結局何度か両替した100円玉たちは悉く飲み尽くされ、僕は心の闇だけを抱いて呆然とゲーセンを去った。秋葉原の駅前の煌びやかなショウケースに映った自分の貌は、まるで人でも殺めて埋めてきたかのようだった。

電車に揺られ、乗り換え、やっと着いた最寄り駅からふらふらと帰る道すがら、目に映るもの全てが憎らしかった。カップルが憎い、幸せそうな家族が憎い、ウーバーイーツの配達員が憎い、苦しみを知らぬ子供が憎い、ハァハァと汚い息を吐く犬が憎い、笑い合う女どもが憎い、喫煙所でタバコを吸う男たちが憎い…そして何より自分自身が一番憎らしかった。いっそ消えてしまいたい。そんな妄想がただの妄想にすぎず、実際に消えてなくなりなんかしない自分も嫌で嫌で堪らなかった。こんな夜は好きでもなんでもない行きずりの女を抱きたくなる。でもそんなあてもなかった。絶望、虚無、怒り、悲しみ、後悔、妬み嫉み、疲労、徒労感、諦め、自己嫌悪…あらゆる黒い感情が胸の中で膨れ上がって、口を開くと溢れてしまいそうだった。憎い憎い全てが憎い憎らしい。胸いっぱいの憎しみを抱えたまま、旨くも不味くもないラーメンを啜って、僕は帰宅したのだった。

めんだこのぬいぐるみ、欲しかったなぁ…。

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