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創作の自分史

思えば小さい頃からずっと創作をし続けていた。

ドラクエに感動してゲームを作る人になりたくて、小説のようなものを書き始めた。挿し絵も自分で書いた。仲間と始めたテーブルトークRPGではたくさんのシナリオを作ってゲームマスターをやった。漫画を描いた。ゲームブックを書いた。オリジナルのカードゲームも作ったっけ。小説はたくさん書いたもののなかなか完結させられなくて、中学ぐらいから詩を書き始めた。毎晩のように書いた詩のノートは何だかんだ20代の半ばまで続いて15冊くらいになったのかなぁ。今でもたまに懐かしく読み返したりする。

舞台に立つことを始めたのは高校の演劇部からだ。仲間と何かを作る喜びの原点は多分ここ。ものを書く人になるか演劇の人になるかを迷って演劇学科に進学して上京する。東京へのコンプレックスもあったのかなぁ……大学を辞めてしまったことは今となっては後悔している。映画とショートアニメに傾倒して死ぬほど映画を観て、映画を作ってみたくて映像研究所に通った。初めて現像から上がってきた自分の8ミリフィルムを見た時の感動。自主制作の粘土アニメでは自分で人形も作った。粘土細工や彫刻は今でも時々やる。

なんやかんや縁があって演劇に戻ってきたのは20代の半ば頃だったか。小劇場で舞台を踏んだ。8ミリフィルムで舞台の幕間映像を撮った。舞台の演出もやった。脚本を書いて自分で企画して小さな公演もやった。そこから役者仲間とコンビを組んでお笑い芸人になった。自分のしゃべくり1本でお客さんが笑ってくれる喜び。MCをやりながらいいワードが出せた時の心の中のガッツポーズ。一生懸命考えたネタがウケなかった時の孤独感。コンビを解散し、また組み、ピンでもネタをやった。インターネットやSNSが流行りだして、ブログやmixiなんかでまた文章を書くようにもなった。またちょっと演劇に戻ってみたりしていく中、即興演劇に出会ってハマって、そして即興演劇の劇団に所属して現在に至る、というわけだ。

節操のない表現者だと笑う人もいるかもしれない。何かひとつに一途に打ち込んでいれば、もっと大きな何者かになっていたかもしれないのになと自分でも思う。でもまあそういう質ではないのだろう。あっちもこっちも興味のあるものには手を出して、全部好きなんだから仕方ないじゃんと開き直る。そういう表現者なのだ。まあそんなのがいたっていいじゃないか。幸いなことに即興演劇というものは、あっちにフラフラこっちにフラフラ浮気してきた経験も活かすことが出来る表現だ。色んなところで拾ってきた色んな形の武器をいっぱい背負って、今日も舞台に立ってこよう。行ってきます。

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