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好き→嫌いの思考実験

一度好きになった人のことは大抵ずっと好きなままでいるタイプの人間だ。恋人と別れたあとも平気でそのまま友達でいたりするし、誘われれば一夜を共にしてしまうことだってあるかもしれない。では一体何があれば嫌いになるだろうか?という思考実験をしてみる。

まず思いつくのは相手に自分が深く傷つけられるということだ。こっぴどく振られる、自分をないがしろにされる、浮気される。そうやって深く傷つけられたなら、そのまま嫌いになるのではないか。しかし世間には、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」なんて言葉もある。たとえその時傷ついたとしても、熱さを忘れて「好き」だけが残ったりする。それを「嫌い」にまで持っていくには相当傷つけられる必要がある。片腕をもぎ取られる、妹を殺される、家を燃やされる。ここまでいけば嫌いになれそうだが、あまり現実的ではないように思う。

相手に失望するというのはどうだろうか。相手が到底好きになれないようなレベルに堕ちてしまえば、たとえ一度好きになった相手だとしても嫌いになれるのではないか。太ったり年老いたりして外見が酷く劣化する、宗教や陰謀論にハマる、酷い犯罪を犯してしまう、ろくでもない相手と付き合う。外見、思考や思想、社会性、交友関係、様々な角度で相手が劣化してくれれば嫌いになれるような気がする。「久しぶりー。私いま○○○○党の応援をしてるんだけど、次の都知事選、○○さんに投票してくれない?」そんな連絡が来たら割と1発で嫌いになれそうな気がするが、目を覚ませ!どうしちまったんだ!と変な方向にスイッチが入ってしまう可能性もありそうだ。

思考実験にしても余りに現実離れしていたかもしれない。少し冷静になって、もう少し現実的に考えてみよう。まずは一度好きになった人は大抵ずっと好きなままでいる、という前提から疑う必要がありそうだ。果たして本当にそうだろうか?おそらく僕も普通に、傷つけられて嫌いになったり、失望して好きでなくなったりしているのだ。それでも、あの時は好きだったという気持ちはなくならないし、好きだった時の自分の気持ちは尊重すべきだと考えているのだ。それを指して、一度好きになった人のことは大抵ずっと好きなままだと認識しているのだ。たぶんそうなのだ。

だとすれば必要だった思考実験は、一度好きになった相手のことを好きだった過去を消すにはどうすればいいか、だったのかもしれない。嫌いになる、というのはそのための手段のひとつだ。他には何があるだろうか……?こうやって無駄なことに思考を巡らせるのは実に意味の分からない奇妙な行為だと思うけれど、そんなことを考えるような心の余裕があるというのは幸せなことなのかもしれませんね。

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