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僕が出会い厨だった頃の話

基本的にここに書いていることは全部嘘ですよ、という話を昨日書きましたね。

と、前置きしておいて、

僕が不特定多数の女性との出会いを楽しんでいたのはおよそ7、8年前のことだ。きちんと数えたわけでもないが、おそらく3年弱の期間で30人以上の人と会った。これはそこそこ多い方なのではないかと思う。

当時僕はコンビでお笑いをやっていた。事務所には所属せず、フリーでライブに出てはネタを磨いていた。が、なかなか思うような結果も出ず、自分でも気づかないうちにストレスを抱えていたのだと思う。加えてプライベートで僕はひょんな縁で距離が縮まった既婚の女性と関係していた。月に1回か多くて2回、平日の昼間にしか会えない恋愛関係。土日やクリスマスやゴールデンウィーク、年末年始には会えない。泊まりで時間を過ごすこともない。それでもいいと自分に言い聞かせてはいたが、これもストレスになっていたのだろう。そんなダブルストレスの捌け口を、おそらく僕は性に求めた。ちゃんと診断してもらったわけではないが、当時の僕は性依存症だったのだと思う。

きっかけは既婚者さんとの不倫関係の悲喜こもごもを匿名で書き綴っていたTwitterだった。会えた日は喜びを無邪気に書いてみたり、しばらく会えない寂しさを素朴に書き連ねたり。誰に見せるわけでもなく垂れ流していても、いつしか誰かの目に留まるものだ。同じような境遇の人、同じように性にオープンな人、そんな人たちのコミュニティに少しずつ繋がるようになり、リプライでやり取りをしたり、DMでやり取りをしたりする人が出来てくる。そうやって仲良くなれば、「会ってみませんか?」となるのも自然な流れだ。DMで予定をすり合わせ、そのまま束の間の寂しさを埋め合ったりした。いや、そんなポエムめいた書き方はよそう。会ってその日のうちにホテルに行ってセックスをしたりした。それは日々のストレスを忘れさせてくれるような刺激的な出来事だった。

そんなことがあってから、僕は新しいアカウントを作り直してTwitterでの出会いに本腰を入れることになっていった。プロフィールとメッセージのやり取りだけで勝負することになるマッチングアプリとは違って、Twitterでは文章によるつぶやきで勝負が出来る。有難いことに僕は、こんなnoteを1200日も続けられる程度の文才と、曲がりなりにもお笑い芸人をやれるくらいのユーモアのセンスは持ち合わせていた。Twitterは自分のストロングポイントを余すところなく発揮出来る場所だった。頻繁にやり取りをする仲の良い人が増え、「会えませんか?」となるまでには新しいアカウントを作って1ヶ月もかからなかった。

本名も知らない、顔も知らない相手と会って、「○○さんですか?はじめまして。じゃあ行きましょうか」と即ホテルに行く圧倒的な非日常。それはまるで麻薬のように甘く楽しかった。事後にポツポツと聞く身の上話。僕が言うのもなんだが、ネットで仲良くなった相手とはいえ初対面でホテルに行ってしまうような女性たちはやはり、人とは違う面白い一面を持っているものだ。そんな話を聞く時間は最高に楽しかった。既婚者さんとの関係が終わったあとも僕の出会い厨ライフは続いた。

性への依存、出会いへの依存から抜け出せた一番の理由は、月並みだがパートナーに出会えたからだった。他の何人かと同じようにTwitterきっかけで会った相手と意気投合し、何度か会ううちに半同棲のような形で生活を共にするようになった。結局彼女とは数年続いた。彼女が地元で就職したことで遠距離恋愛になり、それでも1ヶ月か2ヶ月に1度くらいは会いに行ったり会いに来てくれたりしていたが、コロナ禍でそうもいかなくなってそのままゆっくりフェイドアウトしてしまった。そうこうしているうちに劇団員になったりして本業の芸事が忙しくなり、出会いなんかに使う時間も減って現在に到る……というわけだ。

初対面でホテルに行った人と、1戦終えて一緒にお風呂に入りながら、何故かシェイクスピアの話で盛り上がったことがある。互いの文章に惹かれあって会うまでに至った者同士、響き合うものがあったのだろう。それにしても束の間の寂しさを埋めるためだけに会った人と、会ったその日にシェイクスピアの話で盛り上がるなんてのは稀有なことだ。有り難いことに僕が会った人たちは皆、面白くて魅力的ないい人ばかりだった。いわゆる真っ当な倫理観からは外れた行為だったかもしれないが、今となってはいい人生経験をさせてもらったと思っている。その中であった様々な出来事のうちのいくつかは、絶妙にフィクションの味付けを施した上でここのnoteにも登場しているし、それ以上に今の自分を形成する大きな要素のひとつになっている。別に何かのネタにするためや人生経験のためにそうしていたわけではないけれど。

「はいはいおじいちゃん、その話はもう何度も聞きましたよ」介護士のエミコさんはそう言って、わしの車椅子を押した。この施設で、わしの話を信じてくれる人はいない。違うんじゃ、本当なんじゃ!わしは30代の頃にTwitterで出会い厨をやっていて、可愛い女とたくさん出会いを楽しんでおったんじゃ!モテモテだったんじゃ!車椅子がキィと軋む。エミコさんの母親が、当時会って何度か遊んだ女子大生のアカネちゃんであることを、その時のわしはまだ知らないでいた。

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