ある隣人の話
・稽古帰りの電車で隣り合わせた女性2人。聞くとはなく聞こえてしまった会話の内容から察するに、ホスト帰りの2人組のようだった。どうやらかなりの額をぶっ込んでいるらしい。「今日は40万で……」という会話の断片が聞こえた。僕の勘違いであって欲しいとつくづく思うが、その金額は、『今日のお会計』だった可能性が高い。恐ろしいことだ。
・田舎から出てきてもう25年にもなるが、今回初めて、隣に住んでいる人を認識している。50〜60くらいのおじさんで、新聞屋さんか何かなのだろうか、どうも夜働いて早朝に帰ってくる仕事をしているようだ。僕が早朝仕事に出掛ける時にたまに玄関口で会って挨拶をする。正直僕はその関係を少し煩わしく思っていて、煩わしく思っていることを後ろめたく感じている。
・マックで隣に座っていた女子高生が……という構文がネットミームのようになって、実際にマックで隣に座っていた女子高生が面白い話をしていたエピソードが書きづらくなった感がある。そういえば以前、卒業式を控えたらしい2人が明るくノスタルジックな思い出話をしていたことがあったっけ。映画のエンディングのような尊い光景だった。
・正月に実家に帰った時、隣に住んでいた人が引っ越してしまって、お隣さんが空き家になっていると聞いた。そんな時に感じる、そこはかとない寂しさは一体何なのだろう。息子さんは結婚して出て行き、お父さんお母さんは仕事の都合だか親類縁者を頼ってだかでどこかに行ったみたいな話だった。どうなったかも興味がないくらいなのに、なんで寂しいだなんて思うんだろうね。
・好きな人と遊びに出掛けて並んで電車に座った時の、腕が触れ合うか触れ合わないかの微妙なすき間のドキドキ感が好きだ。関係が深まるにつれて、そのすき間がピタッとくっついて埋まるのが段々と当たり前になっていくのもまた良い。恋人関係というものは、くっつくことが、触れ合うことを許容し合える関係なのだと思う。
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