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どうしてこんなに硬いの

身体が硬い。さすがにこれは良くないと思って柔軟運動をするぞと思っても、まともな柔軟運動をやるのもままならないくらいに身体が硬い。特に下半身の硬さは絶望的だ。カタカナの『ヒ』のような無様な前屈で固まりながら、どうしてこんなに身体が硬いのかと考えてみてふと気づく。僕は『柔軟』という分野において成功体験を得たことが一度もないのだ。

小学校低学年の頃には既に身体が硬かった。前屈で指先が床に着いた記憶がない。僕にとって柔軟はずっと、つらくて痛くて苦しくて出来なくて恥ずかしくて笑われるものだった。「え?それで精一杯なの?嘘でしょ?」なんて言って笑われて、愛想笑いを返したことがこれまでに何度あっただろう。良かれと思って無理矢理に脚を広げられたり、背中に乗ってもらったこともある。今思えばあれも、僕にとっては柔軟運動ではなくただの拷問で、僕はただ痛くて苦しい時間をどうにかやり過ごそうとしていただけだった。部活や演劇の現場でみんなでストレッチをすることがある。「痛気持ちいいところで止めてくださーい」なんて言って指導をしてくれることがあるものだが、「痛気持ちいい」なんて感覚を感じたことすら多分ない。「痛苦しい」「痛つらい」「痛痛い」だ。柔軟をやったから昨日よりも出来るようになったなんて実感出来たことも一度もない。ただの一度もだ。昨日柔軟をやったから今日は身体の調子がいいなんてことすら感じたことがないかもしれない。そんなわけだから、一念発起して柔軟を頑張るぞと意気込んでも、大抵三日坊主で終わってしまう。

最近はyoutubeなどで柔軟運動の動画がたくさんあるものだ。動画に合わせて柔軟をしようとしてみる。「手でつま先を持って止まってください」つま先に手が届かない。「なるべく遠くに手をついてください」そもそも手がつかない。「まず骨盤を立てるようにして座ってください」座れない。次々に出てくるメニューがことごとくまともに出来ないでいると、これでいいのだろうかと不安になってくる。出来てないのに痛くてつらい。効果も実感出来ないし、これを続ければ効果が現れるという確信も持てない。柔軟をやって身体が柔らかくなったという経験が一度もないからだ。ただただ出来なくて痛くて苦しくてつらくて、全く効果も実感出来ないことを続けるなんてのはとても難しいものだ。そうこうしているうちに身体が硬いまま、歳を重ねてより硬くなって現在に至る。

ここまで長々と書いてきたが、特にオチはない。これはただ僕が身体が硬いことに関してのダサい言い訳、かっこ悪い申し開きだ。でも同じような人もいるんじゃないだろうか。仕事にせよ運動にせよ遊びにせよ、最低限の成功体験がないと続かないものだ。身体を柔らかくするという大目標のためには、僕はまず柔軟において何らかの成功体験を掴む必要がある。有識者の助言をいただきたいところだが、あまりに出来なすぎて、せっかくの有り難い助言もうるせぇなで片付けてしまうかもしれないのがまた悩ましいところだ。

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