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僕の安全装置

昔ちょっと好きだったことのある女友達と、かれこれ7年ぶりに会うことになった。その日僕は自分の心の安全装置を二重三重にセットしていた。何故なら彼女は結婚していて、昔好きだった人と久しぶりに会って何かが起こる……なんてことは絶対にあってはならないからだった。

当時僕たちはまだ学生だった。彼女は僕のひとつ歳下。サークルの飲み会で知り合って、マニアックな映画の話で盛り上がって仲良くなって、それ以来たまに会って遊ぶ仲になった。仲良くなってよくよく聞いてみると、彼女は僕の先輩と付き合っていた。何度か会ううちに僕は彼女に好意を持つようになっていたが、先輩の彼女に手を出すわけにはいかないと、この時も僕の安全装置は大いに機能してくれた。僕がひと足お先に大学を卒業して、就職してドタバタしているうちに彼女とも少し疎遠になって、そのうちうっかり携帯を水没させて連絡先が消滅してそれっきりになってしまった。彼女が先輩とは別れ、全然違う人と結婚したという話は風の噂で耳にしたが、連絡を取る術もないまま月日は流れた。

7年ぶりに会うことになったきっかけは、何も劇的なことではなかった。たまたま彼女のInstagramを見つけてフォローして、そこから久しぶりメッセージのやり取りをしているうちに、久しぶりに会おうよとなっただけだ。結婚しても彼女は相変わらずなようで、インスタの投稿はマニアックな映画と美術館の感想で埋まっていた。彼女が変わっていないことが僕はとても嬉しかった。

そんなわけで僕たちは鎌倉のはずれにある小さな美術館に行くことになった。少し早めに着いて賑やかな駅前で彼女を待ちながら、僕は安全装置を再確認する。彼女は既婚者だ。彼女のことはもう好きでも何でもない。彼女はただの古い女友達だ。これはデートではない……ヨシ!安全装置はしっかりと役割を果たしてくれている。これなら大丈夫だ。そんなことを考えていると、待ち合わせの時間から5分ほど遅れて彼女がやってきた。改札を出てキョロキョロと見回す彼女。すぐに僕を見つけると、満面の笑顔で大きく手を振って、タタタッと小走りにこっちに駆け寄ってきた。そして僕の手前で歩道の石畳のちょっとした段差につまづいて、勢いよくつんのめってこっちに倒れ込んできた。咄嗟に手を出して彼女を受け止めると、僕は彼女を抱き止めるような形になってしまった。

ボンッと音がして、第1及び第2安全装置が一発で焼き切れてヒューズが弾け飛んだ。腕の中に収まった彼女の髪からふんわりと甘い匂いが鼻腔をくすぐる。辛うじて機能していた第3安全装置がオーバーヒートしてアラームが鳴り響く。アラームに対応して緊急冷却装置が作動する。好きになっちゃダメだ好きになっちゃダメだ好きになっちゃダメだ……。僕はさながら、暴走しかけの恋のエヴァンゲリオン初号機に乗った碇シンジだった。彼女が顔を上げて言った。「久しぶりやのに、いきなりかっこ悪いところ見せてもうたな」至近距離からの関西弁ッッ!第3安全装置が爆発四散し、僕の心の一番奥のやらかい場所に閉じ込め押し込めていた7年前の恋心の怪物がゆっくりと鎌首をもたげて這いずり出てきた。それでも管理センターは懸命に事態の収束を図っていた。安全装置が全て爆散し、緊急冷却装置ももはや冷却水がだだ漏れ状態になった。だが何としてもここで食い止めねばならない。管理センターの警備部門が誇る、7人の理性の騎士たちが総員出動となった。めいめいに光る武器を持った精鋭たちが、恋心と性欲と煩悩の怪物と対峙する。「ほんまに久しぶりやなぁ。今日はめっちゃ楽しみにして来てん」彼女は僕の腕の中でそう言って笑い、7人の騎士たちの真ん中には稲妻が轟き落ちた。これで僕の中の安全装置は全てが失われ、理性は本能と煩悩の炎に包まれ焼き尽くされた……。

あの日から始まった不倫関係はもうすぐ3年になる。あの日焼け野原になった僕の心の中は、どこまでも続く綺麗なお花畑になった。爽やかな風が吹いて、ピンク色の花がそよそよと揺れた。

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