見出し画像

告白の歴史

いわゆる愛の告白を初めて受けたのは高校2年の時だった。部活終わりに後輩に呼び出されて、誰もいない体育館の裏で、「好きです」と伝えられた。天にも昇る気持ちというのはあの時のような気持ちを言うのだろう。うれしくてうれしくて、夜お風呂に入りながら叫びたいような気持ちになったものだ。

2度目は大学1年の時、今度は先にこちらが「好きです」と伝えたあとに、「私も好きです」と返してくれた時だった。私の好きな人が私のことを好きでいてくれるなんて!そんな奇跡があっていいのだろうか。いや、あるのだ。私の頭の中は色とりどりの花が地平線の彼方まで咲き乱れ、美しい天使たちが喜びの音楽を奏でた。幸福の宴は私の頭の中で三日三晩続いた。

3度目の好きは少し悲しいものだった。バイト仲間から、「ちょっと話があるんだけど…」と言われて、駅前のバスロータリーで伝えられた「好き」。しかし私には既に恋人がいた。好意は嬉しかったけれどそれを受け取るわけにはいかなかった。ごめんなさいと言うと、こちらこそごめんなさいと言って背中を向けて去って行った。私を好きだと言ってくれる人を傷つけるのがつらかった。夜中になって、「さっきは変なこと言ってごめん。忘れてください」とメールがきたけれど、忘れられるはずもなかった。

有り難いことに、それからも何人かの人から好きを伝えられて、それを受け入れたり、或いはごめんなさいと言ったりしながら私は大人になった。そんなことを思い返したのは、つい昨日伝えられた「好き」のせいだった。

相手は最近よく仕事の相談に乗ってもらっていた同業者のおじさんだった。禿げ上がった頭の汗を拭きながら、丸眼鏡の奥の目をギラギラと泳がせながら、「実は僕は君のことが好きなんだ」と言われた瞬間、私は悪寒と共にヒッと息を飲んだ。まさかそんなふうに思われていただなんて!「……ごめんなさい。私はそんなふうには思えなくて」と伝えながら私は泣いてしまって、おじさんは「こちらこそごめんね」と言いながら私の頭をポンポンと撫でた。その生温かい手の感触も不快で不快で仕方なかった。

好きという気持ちを向けられることがこんなにもグロテスクなことだなんて思ったこともなかった。私は深く傷ついてフラフラと帰って、冷蔵庫にあった缶ビールをぐっと呷った。きっと私以上におじさんは傷ついているに違いないが、それはそれ。私には関係ない。シャワーも浴びずにベッドに寝転がってぼんやりと天井を見上げる。私が告白をされた歴史を振り返ってみたけれど、それとはまた別に私が告白をした歴史もある。受け入れられることもあれば、ごめんなさいと言われることもあった。私が誰かを好きだったことも、好きだと伝えたことも、或いはこんな風に相手を傷つけていたのかもしれない。そう思うととても悲しくなった。

よろしければサポートいただけると、とてもとても励みになります。よろしくお願いします。