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【ショートショート】浮いた一万円

 一万円が浮いた。
 と言っても、使う予定だった一万円が必要なくなったという話でない。文字通り、一万円が浮いたのだ。
 ちなみに、浮いたのは一万円札ではない。五千円札一枚、千円札三枚、五百円玉三枚、それとあと、もろもろの小銭がじゃらじゃらと。
 ちょうど一万円かどうかは分からない。大体一万円だ。九千五百円以上あることがはっきりしているのだから、まあ一万円といって差支えないだろう。
 それなのに、一緒にいた降霊術師は、正確にいくらあるのか数えろと主張した。それが一万円を超えているか否かが重要らしい。
「もしも、一万円に満たないんだとしたら、それはそこに何者かが潜んでいる証拠だ」
 彼が口にした言葉は、もうすでにどこかの霊のものになっているようだが、僕にとってはそんなことどうでもよかった。今目の前で浮いている一万円を正確に数えようとすれば、これを一度机なり地面なりに下ろす必要があり、そうすれば、もうそれは単なる大体一万円でしかなくなってしまう。
 だから、早く撮影してほしかった。
「撮影して、それが一万円に満たなかったら、お前はどうするつもりなんだ。そんないい加減なことで、自分の金を守れると思っているのか」
 降霊術師の中の霊がどんな危険を想定しているのか、全く想像が付かないが、それでも、その鬼気迫る口ぶりには、無視することのできないものが感じられた。
 しかたなく、浮いている状態を極力刺激しないように札を少し脇に除け、五百円玉をその間のところにずらし、小銭を種類ごとに分けていった。百円玉は二枚、五十円玉二枚、十円玉七枚……。
「だめだ!」
 降霊術師の言うとおり、残りは五円玉三枚、一円玉二枚。わずかに一万円に届かない。彼は警戒の姿勢をとった。
「虎のポーズ!」
 本人はそう叫んだが、招き猫にしか見えない。しかし、その目は真剣そのもので、浮いた一万円弱を凝視している。つられて、僕も凝視する。
 おかしい。さっきまで三枚あったはずの五円玉が二枚になってる。いや、五百円玉はどこへ消えた? よく見ると五千円札の色が変わって千円札になっている。
「何が起こってるんだ」
「だから言っただろ。何者かが潜んでいるって。ちょっと待ってな」
 招き猫の持ち上げた方の手が、素早く前方に振り下ろされた。
「ほら、こいつの仕業」
 降霊術師が振り下ろした右手を開くと、そこには諭吉が正座して座っていた。申し訳なさそうにうなだれて、消えたお金を差し出した。
「なんでこんなことしたんだ」
「このままじゃ、一万円札になる前に使われちゃうと思って」
 大粒の涙が降霊術師の掌にこぼれ落ちた。
「だからって、人のお金を取っちゃまずいだろ」
「いっそのこと、全部なくなっちゃえばいいかなって」
 しばらくの間、そんなやりとりが続いたが、仮に一万円分がここにあったとして、使う前に一万円札に両替するなどあり得ないわけで、丁重にお引き取りいただいた。
 降霊術師は自分自身に戻ると、満足そうにうなずき、誰もいなくなった右手を差し出して、
「一万円になります」
 と言った。どうやら、本当に霊を降ろしていたらしい。

Photo by Jelleke Vanooteghem on Unsplash

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