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創作は人間だけに許された営みか

 上記は、第7回星新一賞で審査員も務めた人工知能学者、坂本真樹さんのブログ記事だ。
 内容は、「星新一賞でAIを使った小説が初めて最終審査に」というタイトルの通り。それ以上の情報は、現段階では公表できないそうだ。

AIXオンラインセミナー「AIで小説を書こう!」

 もしかして、これの成果物かしら? 講師に坂本さんも名を連ねているので。

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 「AIに芸術表現が可能か」というのは興味深いテーマだ。
 表現対象を「小説」に限定するなら、真っ先に思い浮かぶのは長谷敏司先生の『あなたのための物語』 だが、あくまでその対象を「芸術」とするなら、2018年に発表されたゲーム『Detroit: Become Human』が印象に残っている。

 主人公の一人マーカスは、画家であるカールの介護アンドロイドだ。そのマーカスが、カールの言葉に従って絵を描くシーンがある。これは「AIに芸術表現が可能か」というテーマを深掘りするものではないのだが、作品が出来上がる過程でプレイヤーに提示される選択肢と、完成した作品の何とも言えない雰囲気(僕は好き)のせいで、強く記憶に刻みつけられている。

 僕が先頃、第8回星新一賞優秀賞を頂いた作品「時の器」は、上記のシーンが発想の起点(の一つ)にあった。というか、画家と介護アンドロイドの関係として、もう一つのありえた物語として構想したのが「時の器」だった。
(なので、「AIに芸術表現が可能か」というテーマを掘り下げたシーンもあったのだが、字数制限の関係でまるっと削ってしまった。その結果、どんな作品になったのかは、二月下旬の公開まで、今しばらくお待ちを。)

 それはさておき、「AIの書いた小説」の話である。
 読者の立場なら、手に取る作品が面白ければそれでいいわけであって、それが人間が書いたものだろうが、AIが書いたものだろうが、人間とAIが合作したものだろうが、極端な話、どうでもよい。
 だが、書き手の側はそうはいかない。「AIに書ける」は自分が書かない理由にはならない。いや、むしろ、「AIに書かせる」のではなく「自分で書く」ことの意味を、改めて考えるきっかけになるかもしれない。
(ルンバが掃除してくれているのに、それでもなお、自分で掃除機を掛けようとするのなら、そこには意味が必要になるだろう。)

 AIと言わないまでも、執筆支援のソフト・アプリは既に存在する。趣味で書いている人の中には、それらを積極的に利用している人もいるだろう。
 僕自身、趣味の作曲をする時には、この手の支援ソフトの力が欠かせない。コード進行、フレーズ、演奏――様々な場面で、支援ソフトの力を借りて曲を作り上げていく。
 その時に必要なのは、生み出す力よりも、選び取る力である気がしている。無数に生成されるフレーズの中から、自分のイメージに近いもの、心の琴線に触れるものを選び取る。それを積み上げ組み立て、一つの曲に仕上げる。支援は支援であって、選択の主体は僕自身にある。
 そういう支援ソフト・アプリの力を借りずに創作を行う時であっても、ゼロから全てを作るということはありえない。過去の鑑賞、過去の経験が参照される部分と、そこに自分ならではの手を入れる独創の部分、双方が存在する。参照項が多ければいい作品が作れるということでは決してないけれど、先行作品を完全に無視して何かを生み出すのは難しい。その結果、誰も見たことのない現代アートになるか、どこかで見たことのある凡作になるか、どちらかの可能性が高い。ゼロから思い付けるものは、得てして、誰でも思い付けるものだったりする。

 というわけで、「星新一賞でAIを使った小説が初めて最終審査に」というのは、「人はなぜ小説を書くのか」というテーマと深いところで繋がっている。
 実は、この問題は随分と考えてきたことでもあるので、また機会を改めて。
 というか、「AIが書いた小説」が、この問題に新しい切り口を与えてくれるかもしれない、と期待していたりもする。
(念のため、既に発表されている「AIが書いた小説」については、この限りではなかった。作品の良し悪しは別にして。)
 今はひとまず続報を待とう。

Photo by Yuyeung Lau on Unsplash

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