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【ショートショート】軍用車両タブー

 月に数回、駅前を軍用車両が走る。その場に居合わせても絶対に見てはいけない、と学校では教えられているが、僕の周りの友人たちはみんな見たことがある。命が惜しいので、あからさまに視線を向けることはしないというが、それでも、背中を向けていてなお視界に侵入してくるあのサイズ感は、見るなのタブーを嘲笑って余りある――というのは、僕の兄の言葉だ。正直、体感したことのない僕には、どういう意味かよくわからない。
 ある日、学校帰りに映画を見に行こうという話になった。学校から一番近いスクリーンは、電車で五駅行った所にあるシネコンだ。シネコンなんて言い方、僕の同級生の誰にも通じないが、年の離れた兄は決まって映画館と言わずにシネコンと言う。兄の世代の人たちにとって映画館というのは、文字通り映画を上映する館であり、商業施設の中に四つも五つもスクリーンがあるのは映画館とは言えないらしい。もちろん、だからと言って利用しないということではない。
「おい、今の……」
「過去一、でかかった」
「黒かったな! あんなに黒いか!ってぐらい、黒かったな」
 兄としたシネコンのやりとりの記憶から抜け出すと、駅前が騒然としていた。仲間たちの顔が上気して、興奮の針が振り切れているのがわかる。何があったんだ。
「何がって、今、軍用車両、通ったろ」
「良かったな。あんなに見たがってたもんな」
 兄との記憶に浸っていて見ていなかった、とはとても言えない。兄が二週間前に軍用車両を見たと語った時の興奮ぶりを思い起こしながら、それっぽいコメントをひねり出す。その時は、十五台の軍用車両が切れ目なく走っていって、駅前の電信柱をなぎ倒していったらしい。一台も見たことのない僕には、想像もつかない光景だが、喉が渇いてしょうがないのか、しきりに咳ばらいをしながらその驚愕の光景について語っていた兄の身振りをなぞってみる。
「おい、今の……」
「さっきのと同じじゃないか」
「黒かったもんな! さっきのと同じぐらい黒かったもんな」
 兄の咳ばらいの記憶に囚われている間に、シネコンの入っている駅ビルの前に立っていた。またしても、せっかくの機会を逃してしまったらしい。一度ならず二度までも。それも、兄のせいで。記憶の中に居座る兄は、僕にどうしても軍用車両を見せたくないのかもしれない。
「でも、見ちゃいけないって先生が言ってたのに、こんな、一日に二回も見られたなんて、ラッキーだよな」
「お前……それ、まずいよ……」
 駅ビルのガラス張りの壁面には首をかしげる僕の姿が映っている。その僕を中心に仲間たちは後ずさり、町行く人たちは遠巻きになっている。ビルの中はまだ明かりがついていないのか、何も見えない。まだオープン前だったのだろうか。
 突然、夜が訪れたように辺りが暗くなった。見上げると、駅ビルのガラスそっくりの巨大な黒い物体が、僕の上に覆いかぶさっている。違う。ガラスじゃない。磨き上げられて分からなかったが、金属が黒光りしているのだ。助けを求めて振り返るが、みんな自分の爪先を凝視していて、僕の方を見てくれない。
 見てはいけないと言われていたのに。黒かったって教えてくれていたのに。
 ぎりぎりと機械の軋むような音がして頭上の塊が二つに割れた。そのまま僕の上に落ちてくると、視界は完全な闇に閉ざされた。不思議と少しあたたかい感じがした。

Photo by Samuel Scalzo on Unsplash

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