偽物を選ぶ前に言語化

偽物と本物の区別は難しい。

そもそも、それを比較するための情報が少ない。

例えば自分の場合、筋トレをしている。効率よく筋肉を大きくするにはプロテインを接種する必要がある。しかしプロテインといえど、ネットで検索を書けると膨大な種類が出てくるため筋トレを始めて間もない人にとって何が今の自分にとって良いプロテインなのか判断することが難しい。

A、B、Cの3つの銘柄があるとする。プロテインの知識がないものにとってはどれも同じ。しかし、吸収率を早くする成分が入っているという違いがあったり、筋肉を肥大化させるためのプロテインではなくダイエットに効くプロテインとかいろいろあるわけで、そんなことは初心者にはわからない。

筋トレに例えたが、他にも何か勉強を始めたときもいえるだろう。

勉強を始めたてのころは、自分がスキルとして得たいことに対して何の本を読んだらいいのか、どの分野から勉強すれば基礎が固まるのか全く分からない。そこで質の悪い情報商材屋が「これを勉強すれば間違いないですよ」といった感じで商材を勧めてきたら、何もわからない初心者はおそらくそれに手を出してしまう。だいたいそういった商材に手を出すと学んだ気になっているだけで実際は何も実践で使えることなんてインプットできていない。もしくは、勉強したものといっていることが同じで全然意味がないものだったみたいなことも有る。

初心者だから確かに仕方がないことかもしれない。

仕方がない・・・ことかもしれない。

しかし、無知がゆえに騙されるであったり、必要なものが判断できないことを未然に防ぐことができたらいいなと思いませんかね?

ここからは完全に自分の意見になりますが、そういった人に共通するものがあると思った。それは、「誰かがいいといったものをそのまま鵜呑みにしてしまい良いものだと思い込んでしまうこと」「今の自分にとって必要なことが言語化できていない」が共通しているのかなと思った。

誰かが良いといったものは確かにいい。その人にとっては。その人のレベルでは。しかし、今の自分のレベルで会ったり向かいたい先のベクトルが定まっていないと、いくら良い商品を勧めてもらっていても適切な判断なんてできない。また、2番目の言語化のところにも通ずるが、なぜそれを勉強したいのか、なぜ筋トレをしたいのか。それをしてどうなりたいのか。何の種目を何キロ扱えるようになったいたいのか。月収はどれくらいの金額があればいいのか、などありとあらゆることを言語化してから取り組んでいない失敗してしまうのかなと考えた。

直感的な生き方をする人が多いが、触感とはそもそも過去の経験で、何度も直面したことがあることに対して、ある時一瞬にして最適な手段を思いつくことを直感という。未経験が直感を信じるのは考えることを放棄する口実にしているだけなのかなと思ってしまうこともしばしば。

行動することも大事だが、最低限の言語化くらいはしておいた方がいいのかなと思った今日この頃。


感じたことを忘れないように目に見える形でアウトプットしました。

ありがとうございました!

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