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【ブラック企業】ビルメン地獄の日々【退職済み】


プロローグ

2014年3月下旬。神奈川県にある寮に入寮。外出する際、管理人に遭遇。その方の口からぽろっと出た一言「この会社は給料は低いけど、仕事はあるから安心してね!」。壮絶な物語の幕開けとなることに筆者はまだ知る由もなかった。

地獄研究所編

現場は都内にある研究所であった。敷地内に10棟以上の建物が並んでいた。この現場に行くために毎朝5時半に起床していた。しかし、朝のテーブル拭き・給茶機清掃係の担当週はさらに早く起きなければならなかった
あとで聞いた話によると、この現場は会社の中でも仕事がきつく、ここに配属される人物もほかの現場で「やばいやつ」とラベルを張られた人物が配置されるらしい。その現場に自分は3人の同期と共に新卒で配置されたのだ。

主な仕事内容

  • 定時8:30~17:30

  • 施設内の電気・空調・衛生・防災設備の保守点検修繕

  • 修繕の提案・見積・立ち合い・報告書作成

  • 夜勤

残業時間

上記で17時半に終わることから、楽ではないかと思った読者諸君もいただろう。当然そんなことはない。

  • 実際は7:50には出社していた。なぜなら「何が起きるか分からないから早めに来い」という風潮であった。もちろん朝の残業代は出ない

  • 定時は17:30だが上司がいたら、定時帰りは不可能である

  • 定時で帰ると上司が不機嫌になる(入社1か月で配置されたばかりのときですら定時帰ったら不機嫌だった)

  • 残業した奴が偉いという風潮

  • 残業しないと怒られるので、わざと残業用の仕事を残していた

  • いつも帰宅は23時近く

  • 月の残業時間は40時間マックスにつけていた。これ以上システム的につけることができなかった

  • しかし、3年目に残業をつけるにはその日の14時までに残業申請しなければ残業をつけてはいけないというルールが制定された。これ以降残業は全然つけられなくなった。14時なんて点検で外出しており、パソコンにも触れないし、申請したらどうぜ上司に詰められるのが目に見えていた

夜勤なのに朝から出勤

  • 普通、夜勤がある日は夕方に出勤して次の日の朝に帰宅するのが普通だと思う。実際他の現場もそうだった。

  • しかし、地獄研究所は朝に出社して、次の日の朝9時が定時だった

  • さらに前述にある通り、定時で帰ると上司が不機嫌になるため残業をしなければならなく、昼の12時まで残業するのがマストだった。

  • 時には17時半まで残業することもある。例えば見積を作成して、お客様に提出するには上司の許可が必要になる。その上司が点検で外出し、帰ってくるまで待たなければならない。ちなみにそんなに早く見積もりをお客様に提出してもその日に修繕にはいることなんてほぼできないため意味は無い。しかし、早く提出しないと、上司が怒りだすため無理矢理そうしていた。

  • ちなみに最高労働時間は8:30~翌日の20:30である

悪天候の日は地獄

  • 台風の日に瞬停が起きた日なんかは地獄。一気に上司は機嫌が悪くなり。怒鳴りながら指示を出す。指示の内容も意味不明。もちろん勝手に帰るとブチギレられるので、天候がおさまるまで待機

  • 雪の日なんかはなぜか雪かきをさせられた

  • 天気が良い夏の日の立ち合いなんかはほんとに地獄だった。勝手に休憩を取るとブチ切れられるので我慢。業者が飲み物を飲んでいる姿がとても羨ましかった

やばい上司編

ここまで読んでもらったら、もう分かると思うがやばいのは仕事ではなく上司である。ここでは上司の特徴を書いていく。

やばい主任

  • とにかく怒鳴る

    • 書いてある通りである。どこでも怒鳴る。研究所のお客様の前でも。居酒屋でも。屋上でも。地下でも。地球のどこでも。

  • 矛盾

    • 業者にメールを送る際、もちろん勝手に送信すると怒りだすため、上司にチェックをしてもらっていた。OKを出したにも関わらず、送信後に「ここ違うだろ」と怒り出す

    • 「分からないときは質問しろ」と言い出したので、質問したら「それくらい自分で考えろ」と怒る。なので、自分で考えて作業をして上司の好みに合わなかったら「なんで質問しないんだよ」と怒る

  • 無茶ぶり

    • なんの説明もなくやったことのない作業を振られる。例えば自分の関わっていない設備の修繕の立ち合いをすることになり、当日まで自分は特に書類の準備だけをしていたら、主任は怒り出した。「なんで予習とかしないんだ」と。ただの立ち合いごときに。

  • 若手社員には3連休はもったいない

    • これは本社研修で発表するスライドを修正しろと課長代理から電話があり、休日にも関わらず呼び出された。たかがスライド修正でフルタイム出勤させられた。その時に主任に言われた一言である

  • 暴力

    • 屋上で防災設備の点検の日(2016年3月くらい)。自分は何度もこの点検を経験していたので、やり方は完璧に把握していた。しかし、いきなり後ろから蹴られた。「お前やり方分かってのか?説明してみろ」と。自分は一から作業手順を丁寧に説明した。すると上司は「そうだよ」と謝罪もなくその場を流した。

    • ある日、上司に「Aの書類持っているか?」と聞かれた。自分は「Aの書類は持っていないが、Bの書類は持っています」と言った瞬間、腹部に強いパンチをされた。「俺が探してるのはその書類だ」。事務所の中は静まり返った。

  • 権力には弱い

    • 点検していた時。下請け業者が作業をしていて、部長が「おい、もっと近くで見ないと勉強にならないだろ!」と脅されたので、作業員に近づこうとしたところ、主任が「おい!〇〇(筆者)!!そんな近づいたら危ないだろうが!!」となぜか筆者に怒鳴り始めた。ちなみに部長と主任の距離は約1mである。聞こえてないふりにも無理がある。

  • ちなみにこの主任は研究所に来る前の現場でもやばいエピソードをいくつか残している。

    • お客様と一緒に現場に屋上にいた際、主任が屋上から工具を落としてしまったらしい。するとなぜが、一緒にいた派遣社員に「早くとって来い!」と怒鳴りだしたらしい

    • 主任と派遣社員が点検をしていた際、点検に鍵が必要となりいつも通り怒鳴りだしたとのこと。そして派遣社員の方が走って鍵を取って、戻ってきたら、「もう必要ないよ」と言い出すしまつ。派遣社員はキレて鍵を地面にたたきつけたらしい。

やばい部長

ただでさえ、やばい主任で手一杯なのに3年目に新たな悪魔が現れる。厚木研究所が異動してきた部長である。この部長も厚木で悪評が凄かった。

  • 暴言

    • とにかくまともな言葉をつかえない。「馬鹿野郎」だの相手をけなす言葉を聞かない日はない

  • あきらかな嫌がらせ

    • 汚水槽(糞、尿などが貯められている場所)清掃の際、自分が作業の立ち合いをしていたら、部長がやってきて「お前も中にはいって勉強しろ」。清掃業者、ほかの社員も目が点になっていた。後にその人達から「あんなところに入ってきたの○○(筆者)さんが初めてですよ」と言われた。

その他の上司

  • 別の部署にもやばい人はいた。飲み会で頼んだ酒が来るのが遅いからと、店員にビールジョッキを投げつける。さらに、1時間無料で延長しろと言い出す

  • 40代以上のおじさん社員が若手女性社員を酒で泥酔させ、そのまま。。。以下略。ちなみに女性若手社員は他の男性社員と付き合っており、裁判沙汰にまで発展したらしい。

基本的に33歳~にやばい人が多かった。

体調の異変 編

もちろん仕事のストレスで体もおかしくなり始め、いろんな症状が出始める

  • 目尻の痙攣

  • 耳鳴り

  • 白髪が増える

    • 高校生の時から白髪はあったが、入社して1年後に先輩に「なんか白髪急に増えたよな」と言われる

  • 逆に気づかないほどの異常な肩こり。

    • 美容院で散髪後に肩を揉んでもらったところ、美容師に「あなたの若さでここまで肩が固い方は初めて会いました」と言われる

  • 寝るのに5秒しか掛からない

    • ベッドに入り、スマホのラジオアプリを起動し、「さぁツイッターをいじるぞ」と意気込んだ直後に就寝。実は同期もこの症状を患っており、調べてみたところ「ほぼ気絶と変わらない」「うつ病患者にみられる症状」とのこと

  • 立ちながら寝れるようになった

    • 電車の中、時には修繕立ち合いの時にあまりにも眠く、いつの間にか立ちながら寝てしまっていた。

  • 名前を呼ばれただけでビクッとなる

    • 自分にパワハラをしていた主任・部長以外のひとに名前を言われても体が反射的にビクッとなるようになってしまっていた

  • 社用携帯という名の首輪

    • 当時2015年頃、auで桃太郎が竹を切ったら、中からiPhoneが現れ、着信音が流れるCMがあった。この着信を聞くたびに心臓がバクバクしていた

    • ビッグカメラのCMの最初に流れる「ピリリピリリ」という着信音を聞くたび、心臓がバクバクしていた

    • 電車が揺れたとき、カバンの中の社用携帯のバイブが鳴ったと思い、携帯を取り出して、急いで着信チェックをしていた。もちろん心臓バクバク

  • 負のオーラ、負の円が異常値に放てるようになる

    • ある日、秋葉原の歩行者天国を歩いていたらいきなり遠くから自分の名前を呼ぶ声がした。たまたま長崎から友人が東京に遊びに来ていたのである。でもなんでこんな人ゴミで自分を見つけられたのかを聞いたところ、「遠くからでも分かるくらい負のオーラがすごかったぞ。一瞬で筆者と分かった」と言われる

    • 心霊現象

      • ある夜、窓を開けて寝ていたら目が覚めるほどの異常な強風が部屋にいきなり吹き込んできた

      • 資格試験の会場で早めに解答したので、時間まで伏せて寝ていたら誰かに左肩をトントンとされる。びっくりして周りを見るが近くに人は立っていない。試験監督が教室の正面中央に立っているくらい。しかも自分は一番左の壁際の席なのである。

      • これもパワハラがもたらす体調不良。もしくは、この研究所は自分が知るだけでも3人もの人が亡くなったエピソードを聞いたことがあるので、、、

退職を決意した日 編

2016年6月頃の日曜日。やばい課長のエピソードにも出てきた汚水槽清掃の立ち合いの日、朝から頭・関節・腰が痛かった。インフルエンザの喉が痛い症状以外すべて患った感じだった。この日も部長にどうこう言われてメンタルも限界に来ていた。
この日は、日勤からの夜勤だったのだが、あまりにも体が辛く、立つことが出来なった。一緒に夜勤をする上司に「少し横にさせください」とお願いしたら、その上司は優しく体温計を持って来てくれることに。その体温計を持ってくるまでの間、ベッドの上で人生で初めて「フラッシュバック」を経験した。
凄かった。この2年半、頭に刻み込まれていた仕事であった嫌なことはもちろのこと、完全に忘れていた仕事で起きた嫌なこともすべて鮮明に蘇ってきたのだ。
この時、「会社に殺される」と真剣に思った。

脱出準備 編

この日、自分は高熱のため夜勤を早退し、先輩の車で寮まで帰宅。
次の日は休日だったため、会社に殺されると思った自分はどうやって逃げるか考えた。
そこで、どこかで聞いたとあるエピソードを思い出した。
昔、自分と同じ寮の先輩が現場に急に来なくなったという話。確認するため部長が寮に行くと、「探さないでください」と書かれた紙が置かれ、もう部屋には誰もいなかったのだという。ちなみにこの部長というのはやばい上司編にも出てきた部長と同じ部長である。
自分も失踪しようと考えたが、さすがにダメかと思い、会社を休む方法を調べたら「心療内科で診断書をもらう」と出てきた。
自分は早速、寮の近くの心療内科に行き、お医者さんにすべてのエピソードを話した。
診断結果は「適応障害」だった。
帰宅後、勇気を振り絞って、現場では常識のある方だった課長に電話をして、「休職させてください」と話した。

ふとテレビを点けると、とあるニュースが流れた。
愛知県のタレントがラジオの生放送中に足をコツコツ蹴って逮捕されたのだ。
このニュースを見て、もし自分が上司のことを通報したら逮捕できたのだろうかと少し思った。

なぜか部長が寮に来た 編

課長に電話した数分後、部長から電話がきた。
「いったいどうしたんだ?面談をして詳しく話を聞きたい」と。
本人はなにも分かっていないのだろう。
最初、自分の部屋で話すとなったときは焦った。もうすでに寮を出ていくための荷造りをしていたからだ。なので面談は寮の談話室でおこなった。
主に自分はこれまで主任にされてきたパワハラエピソードを泣きながら話した。
そして、最後に勇気を振り絞って部長にされて嫌だったことも直接泣きながら伝えた。
最後に部長から「診断書が欲しい」と言われた。自分はこの時、証拠隠滅を恐れ談話室でコピーをとり、写しだけ渡した。
ちなみに部長が全員に聞き込み調査をしたら、全員から主任がやばかったと話がでたらしい。
最後に部長から一通の手紙を渡された。
主任からの謝罪文だという。
自分は「さすがに読めません」と言った。

一方現場では、「なんでパワハラしてた部長が面談に行ったんだ?」や「やっと主任いなくなるんじゃね?」など大盛り上がりだったとのこと。

支店長が寮に来た 編

翌日、支店長が面談に来た。支店長は別部署の課長から「筆者は部長からパワハラを受けているから、部長が面談に行くのはおかしい」と伝えられ来たのだ。つまり、支店長は言われるまで気づけないほど現場のことをなにも分かっていないのである。
一通り、主任・部長にされた嫌なことを話して終わった。

本社総務部が寮に来た 編

支店長と面談した次の日は、本社から総務部が面談にきた。
最初、主任の履歴書のコピーを見せられ、「こいつがやったのか?」と聞かれ、「はい」と答えた。
しかし、なぜか部長の話がなかなか出てこない
自分が部長にもパワハラされたことも伝えると、
あの部長はそんなことしないと思うよ。本当は良い人だよ」と言われた。もうこの会社はダメだと思った。

休職 編

休職することが決まり、故郷である宮崎に帰ることにした。
ただ帰る前になにが起きたのか伝えたかった人物がいた。同じ現場で同じ寮の同期である。
宮崎に帰る前日の夜、同期と飲みに行き、すべてを伝えた。
宮崎に帰る前に福岡や長崎を旅行した。

休職終了後 編

3か月の休職後、自分は退職することにした。
その手続きをするためにも事務所に行く必要があった。ものすごく気まずかった。
もちろん主任の姿は無かった。自分が休職することになったその日に本社に異動が決まったらしい。
しかし、またひとつ部長が嫌がらせをしていたことが分かった。筆者と面談をした日、事務所に戻った後、なぜか自分の適応障害の診断書の写しをメールで現場全員に拡散していた話を同期から聞いた。意味が分からなった。デリカシーがないにも程がある。
それを見て、他部署の課長が「だらしねぇなぁ」などの言葉を発する30代後半の人間が複数いたらしい。
ちなみに宮崎から帰ってきて、部長から渡された主任の謝罪文を勇気を振り絞って読んでみた。愕然とした。謝罪の言葉がひとつも書かれて無かったのである。おおまかな内容は「一人前にしなければならにプレッシャーで厳しく当たりすぎた」とのこと。
ちなみにこの謝罪文を同期が主任の個人フォルダから見つけ、現場の社員が読んでいて、全員総じて自分と同じ「まじでやばいなこいつ」という感想だったという

退職編

2016年9月。退職最後の手続き、有給申請、別れの挨拶などをするためにまたしても出社した。
手続きは部長が筆者にパワハラをしていると見抜いていた課長が手伝ってくれた。もう部長と自分を会わせないように配慮してくれていた。
そして、研究所をあとにして、完全に退職した。

後日談

主任

  • パワハラをしていた部長は本社の教育部に異動にになったらしい。なぜパワハラをしていた人物がひとにものを教える部署に異動なのかは理解できなかった

  • 研究所の繁忙期が研究所で働く人が来ないゴールデンウィークでの一斉点検なのだが、この助っ人がなぜか今も主任らしい。しかも相変わらずパワハラ癖は治ってないらしく、怒鳴り叫び散らかしていたとのこと

  • さらに本社での飲み会で新入社員の女性社員にセクハラをして、その女性社員はそれが原因で退職したらしい。

部長

  • 自分が辞めた数年後、やっと部長のやばさも明るみに出て、現在は部下を持つことを禁止になったらしい

その他の上司

  • 自分のことをだらしないなどと言っていた、30代後半軍団のうちの一人は別の現場に異動になった際、設備のことが分からずに鬱になって休職したらしい。

同期や後輩たち

  • 同期も仕事を辞めて、地元に帰ったとのこと

  • 後輩は自分が辞めた直後は部長が多少マシになったが、また元通りのパワハラ部長になり、そのパワハラを受けて、3か月休職して辞めたとのこと。


最後に

本当に辞めてよかったと思っている。
もしパワハラがなくても、過労で倒れて寮の人に見つけてもらって助かった先輩や、朝会で倒れていた後輩を見ていて、いつか自分もこうなるんだろうなぁと思っていた。
今はゼネコンを辞めてIT業界にもっと早く転職しておけば良かったと今も後悔もしている。

だけど、ビルメンもメリットはあった。

  • 歳の近い先輩は優しく面白い人が多かった

  • 夜勤が終わった次の日は休みのルールだったので、5連勤はほぼなかった。

  • 平日休みがあった

今でもあの過酷な環境で3年近く耐えていたのが考えられない。

辛くなったら退職したほうがいいと学んだ。


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