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【ショートショート】 理想の訪問者

あなたはチャールズ・レニー・マッキントッシュがデザインしたこの椅子をご存知だろうか?

マッキントッシュの数多あるデザインの中ではおそらく、1番と言っていいほど広く知られているだろうから、もしかしたら既にご存知かもしれませんね。
この椅子はヒルハウスという住宅を設計した際、マッキントッシュが寝室に置くためにデザインしたものです。今日はそんなヒルハウスラバーダックチェアにまつわるショートショートが届いているようです。

家具好きのとある男がいました。
男は古道具屋へ行くことを日課としており、中でも家具の品揃えが素晴らしいお気に入りの店を今日も訪れていました。
男は曇り空が蠢くくずついた天気の日に古道具屋へ行くのが好きなようで、湿度によって古道具特有のしめったにおいが一際強まる今日のような天気は格好の日和なのです。
いつものように店の中はしめったにおいがたちこめており、男の気に入りそうな顔ぶれが夥しく並んでいます。高くたかく積み上げられ今にも崩れ落ちそうな木箱には、さまざまな鉄金具の装飾が拵えてありひとつとして同じものはないのです。かつて誰かが住んでいたであろう家の骸から取り外された開戸や窓のような建具は行きどころを失い、本棚に並ぶ埃を被った古い洋書のように店の隙間へ詰め込まれています。男は役目を失われたものたちが滞るこの場所から、気に入りを見つけては連れ帰り美しく手当をしてやる一連の行為が好きでした。彼の心を豊かにする方法だったのです。今日は誰を連れ帰ろうかとじっくり品定めをして、所狭しと並んだ道具の隙間を縫うように、男は店の奥まで進んでゆきました。するとさっきまでの夥しさは嘘だったかのように、珍しく開けた空間が店の中に現れました。古道具が積み上げられ隠れていたコンクリートの床は剥き出しになり、茶色いシミや砂埃のようなものが薄い膜を張っています。ふと顔をあげると、部屋の隅の薄暗がりからすらっとした黒い影が静止しているのを男は見逃しませんでした。男は足早に暗がりへ向かってゆきました。
そこには随分と背もたれが長く、人が座るには座面が少し窮屈そうな椅子が置かれていました。あまりにも不思議な椅子だったので、暗がりの中でぼやけていた影を男が椅子だと気付くのに少々時間がかかってしまうほどでした。

「なんて不思議な椅子なんだろう。人間にとっては美しすぎるくらいだ。これはひょっとして人が座る椅子じゃあるまい」

男はその椅子に一目惚れして、自分の手元へ連れ帰ることにしました。
決して安い買い物ではありませんでした。むしろ男の1ヶ月分の給料をまるまる遣い果たしてしまうほどの高価なものでした。
それでも男はあの椅子を放っておくわけにはいかなかったのです。

男は自動車の荷台に優しく椅子を積み上げ、彼が住む古びたアパートへ持ち帰りました。どこへ置こうか暫し考えを巡らせ、男はその背もたれの長い椅子を自宅の地下室にある窓ひとつない部屋へ置きました。その部屋は独房のようなつくりをしており、椅子にとってとっておきの場所のような気がしていました。
人間が座るには少し奇妙な形をしているこの椅子には、人間よりもっとふさわしい持ち主がやってくると男は信じていたのです。

「ここならいつまででもこの椅子の持ち主を待ち続けられる。きっと相応しい何かがやってくるに違いない。」

男は満足しておりました。
そこへ座るであろう何者か以外は入ってこられないように、男は北側の部屋にそっと鍵をして鍵穴から中の様子をじっと覗いていました。

くる日もくる日も男は暇さえあれば鍵穴から部屋の中をのぞいて、椅子にふさわしい何かを待っていましたが、いつ覗いても部屋の中には静寂のみが虚しく広がっており、男の期待に応えるものは現れませんでした。

椅子を閉じ込めてから2週間ほど経ったある晩のこと、男はいつも通り例の部屋の鍵穴を静かに覗き込みました。

「おや?」

男は首をかしげました。
椅子の向きがほんの少し、以前と違っているような気がしたのです。
しかし男はどうせ気のせいだろうと、きっと風か何かで少し動いてしまったのだろうと思うことにしました。それくらいほんの少し、だったのです。

次の日の晩、男はまた鍵穴から椅子を覗き込みました。

男はドキッとしました。
椅子の向きが昨日より明らかに左に動いているのです。

それに、男はふと気付いたのです。
風で動いたのだろうなどと、浅慮な思い込みをしてしまった過去の自分に嫌気がさしました。
風で家具ほど重さのあるものが動くはずもなければ、この部屋に窓なんて無かったことを思い出したからです。
風の通り道すらない、独房のようなこの部屋にある唯一の入り口には鍵がかかっています。
鍵穴に添えていた男の手は、小さく震えていました。自分以外の確かな存在を、昨日より左に動いたその椅子に感じたからです。

そしてそれからふた月ほどが過ぎました。
男はあの日以来、鍵穴を覗くことを躊躇っていたのです。未知なる何かを恐れていたのかもしれないし、知りたいようで知りたくなかったのかもしれません。知ってしまえば、自分にとって嫌なことが起きてしまうのではないかと思ったのも躊躇っている理由のひとつでした。
しかし好奇心というのは、突然やってくるものでそれは時に恐怖をも上回るものです。
男はいてもたってもいられなくなり、とうとうあの鍵穴を恐るおそる覗き込みました。

すると何かにハッと驚いた男はその瞬間、今までの殆どの記憶を無くして
その場に立ち尽くしていました。

「あれ、私は何をしているのだろう」

目の前にある扉を開けようとしましたが、かたく鍵がかかっていて動きません。
男は部屋の鍵を解いて例の扉を開けました。
蝶番が歯ぎしりのような音を立て、長い間開けられていなかったのか、埃が男の足元を走ってゆきました。
窓ひとつない薄暗い部屋の中央には、
人が座るには少し奇妙な、背もたれが長く窮屈そうな小さな座面をした椅子がぽつりと置かれているだけでした。

部屋はとてもくすんだ埃っぽい空気だったのですが、唯一その奇妙な椅子には埃をかぶった跡がありませんでした。男は不思議に思いながらも椅子に腰掛けると、それはとてもおかしな座り心地でまるで人のために用意されたものではないような気がしたのです。
そして奇妙な点はもうひとつ。
密室に置かれていた誰も座るはずのない椅子の座面から、かすかな温もりがじんわりと男の尻をつたってきたのでした。

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