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京都移住日記#4/病は氣から~愛宕さんでの氣付き~

2018年の年末。
人影もまばらなオフィスで、例年どおり仕事をしていました。

クリスマスを過ぎた頃、多くの社員さんが会社の休業期間よりも前倒しで休暇を取り始められ、社内はすっかりお休みモード。

毎年なんでこんな年の瀬まで仕事してんだろ?
去年も思わなかった?

介護をきっかけにハケンになってからというもの、
生活が向上しないまま気付けば何年も過ぎていました…

この生活ずっと続けたい?
本当は有給なんて気にせず休みたいよね?
今のわたし、なりたかったわたしかな?

悶々と自問自答を繰り返し、
この状況を卒業したい!という意識が、これまでになく強いものになりました。

現状に甘んじ、与えられた枠の中であくせくする生活…
来年こそはと思っていても、本当には決めきれていなかったのです。

2018年の早い時期に開業届を出して、数秘セッションの仕事を始めてはいたものの、自分で副業と位置づけているのだから、比重は当然勤め先の方に。

会社での仕事、副業、学生の三足ワラジで、体に負荷をかけては、
原因不明の腸閉塞になり病院に運ばれる始末。

最初に入院したときにハッキリと感じたのは、
「いい加減にしなさい!寝なさい!!」
という声でした。

体を壊す度に、自分を労るどころか、
「なんで!?どうして今!?」
と、体を叩いて自分を罰していました。

自分に起こる原因不明の病気のほとんどが、ストレス起因だと思います。

ハケンになってからは、何年働いても待遇はほとんど上がらないけど、
目標設定も、KPI(Key Performance Indicator:重要業績評価指標)なんかもない分、氣は楽でした。

だから、

ストレスはつきもの。
汗水たらして、体にムチ打って働いてナンボ!
限界までやる!

なんて、
そんな昭和な設定はもう外したはずなのに…
本当は何も変わっていなかった。

わたしの潜在意識は、
「病気をしたら休める」
「辛いことから逃れられる」
そんな設定をしていたのです。

子どもの頃から、健康診断の結果にC判定やD判定が出るのは当たり前。

「自分に病気はつきもの」
「そういう人生」

というとんでもない思い込み

これに気付いてからは、どんどん持病が放れていきました。
なぜか40才を過ぎてからかかった原因不明の貧血まで今ではすっかり完治!

あれ、わたしって健康!?
自分が健康であることをどんどん許せるように。

それでもどこか仕方ないと思っていたのが、
もう一つ人生につきものだった「ケガ」です。
ケガばかりは仕方ない、とどこかで思っていました。

さてここで、先日登った愛宕山でのこと。

トレッキングシューズでなくフツーのスニーカーで登ってしまったために、
帰りの急な坂で、滑ってころんで岩に手をついてしまいました。

「イッターーーーーー」
「折れたかも!?」

手のひらが切れて、手首がみるみる腫れていく中、友人がすぐにレイキヒーリングをしてくれました。

「大丈夫大丈夫」

そういいながらしばらく手を両手で包んでくれる中、
わたしはと言えば、
「あーこれアカンやつ、あー痛い、帰ったら病院かな~。」と
当たり前のように思っていました。

ところが!
あれ!?
痛みがどんどん和らいでいるのです。

「だ~いじょうぶだよ~」

いつも心をほぐしてくれる友人の言葉に、

「うん、大丈夫~」

と自分も言ってみると、
手首の腫れがみるみる引いていき、痛みも鈍くなっていくではありませんか!!

それから現在3日が経ちますが、腫れは引き、手のひらの傷もすっかり消えてしまいました。
(これ本当なんです!)

曲げたり負荷をかけたりすると少し痛むので、あと1日2日シップを貼っておけばいいかなというくらい。

あのまま病院行きだと思っていたら、きっとそうなっていたと思います。

「病は氣から」

を、名実ともに身をもって体験した出来事でした。

病氣に逃げなくても、
ケガをしなくても、

休んでいいし、逃げたっていい。

移住までの日々は目まぐるしかったけど、身体は確実に健康になっていきました。
(そう言いつつ、引越し直前に一度救急車で運ばれるのですが、その面白原因についてはまた別の機会に…)

今では、自分の健康を疑わない、健康であると認める、許すことが習慣になりました。

この後、京都での出逢いのおかげで、20年以上も抱えていた後遺症の痛みからも解放されることになります♪

続きはまた。

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