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非モテの戯言

 『モテるためにはクズになる必要があるんだよ。女の子に媚を売るな。自分勝手になれ。』
なんて汚い言葉が携帯の画面に流れ、「キモ。」という言葉が私の脳内を走り去った。今でもその二文字は私の脳内を走り続けている。


 こんばんわ、今晩は「モテる」と言うことについて書きたいと思います。ですが、前置きを一つ。私はお世辞にもモテる人とは言えません。ですので、モテない人間の戯言だ、と嘲笑しながら読んでいただけると幸いです。

 ませた10代後半頃から今日まで、色んなSNSを見たり、人と話したりしていて、「モテる」という話題に触れることがあります。その話題に触れる中で、「モテるためにはクズになる必要がある。」というような言葉をよく耳にするのです。自分軸で生きているからとか、母性本能がなんたらとか、なんだらかんだらでクズであるということはモテるらしいのです。

 確かに、女の子を粗雑に扱ったり、堂々と迷惑をかけている人がモテているのは目にするので、一理はあるのでしょう。
 ですが、モテるために自分をそんな存在にしている人を見ると、「え?ダサくね?」と思ってしまうのです。自分の品格を下げて、他人に対するリスペクトを捨てて、その先にある「モテ」に何の価値があるのか、と思ってしまうのです。

 誰かを傷つけるようなことを言いますが、クズであればモテると信じる低レベルな男の子がいる一方で、そんなクズを好む様な低レベルな女の子がいるのだろうな、と思います。なんで低レベルかっていうと、どちらも自分も相手も大切にしていないからです。自分の品格を下げて相手を蔑ろにする男の子。相手からの愛情がなくて幸せにならないと分かっているのに、ただ無責任な依存先として相手を扱う女の子。
 どちらも可愛い。悪口です。

 そんなどちらも幸せになんかならないと分かっているのに、目先の空っぽな快楽だけを追い続ける彼らを私はリスペクトなんてできない。そんなものに全てを捧げる彼らになりたいなんて尚更思わない。「ダッサ、キモ。」としか思えないのです。

 だから、「モテるためにはクズになれ」なんて言うことを言う人たちは、そんな低次元の世界で生きて、低次元の人たちにモテるために一生懸命生きているのだろうな、と思います。


 私はモテなくてもいいから、女の子と一緒にいるとき、自分を誇れるよう日々自分を磨くためのことを学びたいし、わざわざ私に会うために身なりを整えてくれた女の子の姿を褒めたいし、その子がその瞬間を楽しむために色んな話を聴いたり、その子が楽しめる様な話や言葉遣いをしたい。媚とそれが呼ばれるのであれば、私は甘んじてそれを受け入れます。それが私にとっての品の一つで、美学でリスペクトなのです。それらのない「モテ」など、何の価値もないのです。まぁ、だからモテないんですけどね。

 それでも私が「モテ」なんかのためにクズになんかになったら、私の周りの、彼女や奥さんや好きな人にいっぱいいっぱいな友人たちに、白い目で見られるなんてのは明らかな事実で、つまる所、私と私の大事な人にリスペクトのないことなんてしたくないのです。モテるみっともない動物として生きるなら、私はモテないまま人間として行きたい。


 ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


 あー、まじで爆モテして女の子にチヤホヤされてぇ。

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