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トムジェリ


 本とか映画とか音楽とか、それを味わうときの醍醐味って、自分の噛み砕き方、解釈を見つけることだと思うんです。

 作ったひとが本当に伝えたかったことは、「正解」。私たちがそれに触れて導き出した解釈は、「良さ」。「正解」を導き出すことは正解ではなくて、そういう意味では、「良さ」を導き出すことが正解になるんです。トムとジェリーが愚かさを示しているという解釈も「良さ」。クルエラ・デビルはあまりにも魅力的で、憧れなの、というのも「良さ」。
 ただ、自分の中で生まれて自分の中で光るものなんです。ありもしない設定を勝手に付け加えて、自分の中だけのものと本当にあるものとをごっちゃにして、自分の「良さ」を「正解」にしようとすることは、どんなヴィランでもしません。それをするのは、ヒーローにもヴィランにもなれない、物語に登場することすらできないモブだけでしょう。


 「星の王子さま」の中のバラはラテン系である。絵のうまさを描写するのに描かれた蛇は、性的興奮を示している、挿絵と実際の文章は合っていない。バラと王子さまは夫婦である、なんてことを言う人がいました。長らく「星の王子さま」を見ていなかったので、そのときはそうなのか、と思っていたのですが、実際に読んでみて、こいつは何を言っているんだ、、としか思えませんでした。


 そもそも、バラは地球ではない星に生まれていて、ラテン系であることの比喩だったとして、少し強気であるだけのバラを、何故あまりに大きなくくりのラテン系としてくくるのでしょう。女、男、と言っただけで罵詈雑言が飛び交うこの世で、それを外にだしたら目に見えないもので首を絞められる未来が見えます。
 その時言っていた蛇と挿絵の蛇はあまりにも姿が違うし、エロいことを考えていたのか知りませんが、ごっちゃごっちゃのはしたない下品な勘違いを、他人に求めるのはやめてほしかったです。
 挿絵と文章が合ってないといっていたのも何をみて読んでいたのか、と疑問に思いましたし、夫婦であるかどうかも言及がないので自分の中の考えでしかないのです。

 「良さ」は自分自身の中で完結するもので、「正解」の皮を被せて他人に押し付けていいのではないのです。まぁ最も、「良さ」と「正解」の線引きすらできてないのかもしれませんが。


 おっと、感情的になってしまいましたね。ごめんなさい。遠回りをしてしまいました。ただ、私がここで言いたいのは、「正解」があったとして、「良さ」を見つけることが本質だったとき、自分の導き出した「良さ」は他の人にとっては「正解」ではなく、まして「良さ」ですらないかもしれないのです。頭のいいあなたならわかると思いますが、仮にあなたが導き出した「良さ」が「正解」であったとして、そこにはなんの価値もありません。それが「正解」であろうかなかろうがただ、あなたの「良さ」があるだけ。他の「正解」とは異なる「良さ」と横並びになるものなんです。それを息をまいて、過信と愚かさに満ちた姿を晒してまで、『私は正解を導き出せるの。フフン。(事実としてその人の良さと正解が一致しているかは確定ではない。)』と、滑稽にコメディになりたいのなら、止めません。まして、「良さ」と「正解」が一致することなど第三次世界大戦が起こるくらいありえないのに。

 え?じゃあほとんどの良さと正解はイコールじゃないかって?ごめんなさい、ブラックジョークです。それも私の「良さ」です。「正解」は、私の「良さ」と正反対でしょうけど。

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