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西暦2億5千万年 1話【創作大賞2024 漫画原作部門】

あらすじ

人類消失事件が起き始めて半年。
帝都大学准教授の羽場萃は、人類消失の調査のため未来資源研究所に呼び出された。
失踪した物理学者の鷲尾一石と共同開発した『未来資源F』が人類消失に相関がある可能性を示唆されたからだ。

愛する妻アカリの後押しもあり、調査に協力することに決めた翌日。
アカリが忽然と姿を消してしまった。

未来資源Fの〝特殊な取得法″から仮定すると、アカリを探す手がかりと人類消失事件の鍵は恐らく未来にある。

「エマにタイムマシンを作って欲しい」

羽場は鷲尾一石の孫であるエマに協力を仰ぎ、未来へ行く方法を模索する。
羽場はアカリを見つけることが出来るのか、そして人類消失事件を解決することが出来るのか。

298文字

1話


海上を走る船の上で、ボサボサの黒髪にヨレヨレのシャツを着た男――羽場萃はスマホを眺め、ため息を吐く。

その隣で黒いパーカーを着て丸眼鏡をかけた真面目そうな大学院生の男――田丸研一がキラキラとした目で海に浮かぶ研究所を見る。
田丸「もう少しですね…羽場先生!」

羽場「もう着いちゃうな…何で今日に限って
 来たくなかったよ」
田丸「またそんなこと言って……ほらもう上陸の準備しましょう!」
羽場「うぷ…」

羽場は船酔いで顔が青ざめ、船の縁から嘔吐してしまう。
羽場「うげぇぇええええ」
田丸「ちょ……! 羽場先生!!」
羽場のスマホの画面には妻との写真が写っていた。


モノローグ「21XX年・和歌山県南方沖
 未来資源研究所」
海上には、海に向かって大きな支柱が突き刺さった浮遊式の海洋プラットフォーム。
そしてそれに隣接するようにその研究所があった。
田丸「先生! 急いでください!」

羽場は研究所内の廊下を、田丸に手を引っ張られながら歩いていた。
田丸「もう30分も遅れているんですから!」
モノローグ「帝都大学修士1年 田丸研一」

羽場「あぁ…わかった
 わかったから…」

羽場は口元を抑え、気持ち悪そうに青ざめ壁に寄りかかる。
モノローグ「帝都大学准教授 羽場萃」
羽場「そう急かさないでくれ」

田丸「もう何回も来てるんですから
 そろそろ船にも慣れてくださいよ」
僕ので良ければ、と田丸はペットボトルの水を羽場に手渡す。

羽場は受け取った水をごくごくと飲む。
羽場「そうしたいのは山々なんだけど
 船酔いばっかりはどうしても、ね」

羽場は口を拭うとペットボトルを田丸に返す。
羽場「そもそも僕はこんなところ
 もう二度と来るつもりはなかったんだ」

全く、と田丸は呆れたようにため息を吐く。
田丸「先生がそんなやる気のないこと言っているってわかったらSNSで大炎上ですよ?
 羽場先生は今最も注目されている若き天才科学者なんですから」

羽場は苦笑いを浮かべると頭を掻く。
羽場「天才はやめてくれ」

田丸「何を言ってるんですか!?
 羽場先生は、あの天才物理学者の鷲尾一石と共同で、次世代の人工クリーンエネルギー資源『未来資源F』を発明した、ノーベル賞最有力候補じゃないですか!?」

羽場「買い被りすぎだよ」

田丸「いやいや!
 未来資源Fは、素となる材料を海底に埋めるだけで、しばらくすると生成される、石油みたいだけどCO2を出さない画期的な資源なんですよ!!
 これによって世界のエネルギー問題が解決して、数千年後までこの地球で豊かに暮らせるとか!
 さらに! 少量で莫大なエネルギーを産むから現在建設中の『スペースコロニーアルファ』でも利用されてるとか!」
羽場「…………!」
目をキラキラさせながら迫る田丸に仰け反る羽場。

田丸「こんなすごい資源を発案したんですよ!
 羽場先生は!」

捲し立てる田丸に「はは…」と空笑いする羽場。
羽場「僕はただ閃いただけだよ
 あとは全部鷲尾さんがやってくれた
 僕はたまたま鷲尾さんのおこぼれに預かっただけの凡人だよ」

羽場「それに炎上はしないさ」
田丸「?」

「えへぇ〜」と羽場は頬が溶けたようにニヤけた後、指を組み妻に思いを馳せる。
羽場「なんせ今日は結婚記念日!
 可愛い可愛い愛しの妻アカリとの特別な日さ!
 別に来なくても皆わかってくれる
 むしろここに来たことを褒めてほしいくらいだよ」
「は、はぁ…」と田丸はドン引きする。

気分が良くなった羽場は田丸と共に研究所の廊下を並んで歩く。
田丸「でも先生、一体なにやらかしたんですか?
 資源エネルギー庁から呼び出されるなんて」

羽場と田丸は研究所にある大会議室に入室する。
田丸「しかもあの『人類消失事件』で…」


羽場は大会議室に入室すると、頭を掻きながら挨拶する。
羽場「遅くなりました。帝都大の羽場です」

大会議室には黒のスーツを着込んだ男達とカジュアルな服を着て帽子を被っている若い少女が中央の長机を囲んで立っていた。
机には資料と思われる紙束が散乱し、大会議室の正面には大きなモニターでグラフやデータ、誰かの写真などが映し出されていた。

その物々しい雰囲気に田丸は表情を固くしてゴクリと唾を飲んだ。

机のモニター側に立っている細身でキチっと髪を整えた初老の男――溝口が羽場を見ると眼鏡を掛け直した。
モノローグ「資源エネルギー庁 未来資源課
 課長 溝口」
溝口「来ましたね」

羽場「ご無沙汰しています。溝口さん
 あ。紹介します。私の学生の田丸君です」
羽場が田丸を紹介すると、田丸は緊張した面持ちで背筋を伸ばす。
田丸「帝都大学修士1年の田丸研一です!
 本日は遅くなり大変申し訳ございませんでした!」

緊張でガチガチになっている田丸を見ても、無表情のままの溝口。
溝口「いえ。構いません
 どうせ羽場先生の船酔いでしょう?
 しかし珍しいですね
 羽場先生が学生を取るなんて」

羽場は困ったように笑いつつ、周りを見渡す。
羽場「えぇ…まぁ彼の熱意に負けまして…
 一人だけ取ることにしたんです
 それよりもこの方達は?」
溝口「人類消失事件を調査している方々です」

羽場「ってことは警察の方?」
羽場(…にしては彫りが深い人が多いような)

溝口「それはあちら」
と溝口は机の片側を指し示すと、黒スーツを着た険しい表情の日本人数人が一斉に警察手帳を見せる。

羽場は軽く会釈する。
羽場「はぁ…ではあっちの方は?」

羽場は日本警察とは反対側にいるガタイの良い外国人数人を見る。
溝口「米国大使館の方達。そして…」

その中でひとりだけ際立つ十代後半くらいの少女がいた。
溝口「プリンストン高等研究所のエマ・ワシオさんです」
カジュアルなジャンパーに帽子(キャップ)を被り、ひとつ結びにしたクリーム色の髪と鋭い緑色の目が特徴的だった。

羽場(ワシオ…?)
羽場「もしかして――」

田丸「もしかして鷲尾一石のお孫さんですか!? あの天才物理学者の!!
 確かエマさんも飛び級でアメリカの大学を卒業して
 今は鷲尾教授の量子重力の研究を引き継いでらっしゃるんですよね!?
 わぁ!! こんなところで会えるなんて!」

興奮気味に語る田丸だが、静まり返る大会議室の様子に我に返る。
田丸「……すみません」

そんな田丸の様子を見て、羽場は「はは…」と空笑いするが、
エマ「ノープロブレム。問題ないわ」

エマは振り向くとゆっくりと羽場達の方へ歩みを進める。
エマ「ケンイチ・タマルが言うように鷲尾一石は確かに私のおじいちゃん
 けれどおじいちゃんはおじいちゃん
 私は私
 研究もあくまで私の興味でやっているの」

エマが高圧的な態度で田丸の前に立つ。
エマ「そこらへん勘違いするのやめて」

「す…すみません」と田丸は萎縮して頭を下げた。

だがそんなエマの態度を意に介さず羽場は呑気な顔でエマを見る。
羽場「……でも君はおじいちゃんっ子だろ?」

エマがギロリと羽場を見る。

田丸は焦ったように羽場の方を向く。
田丸「ちょ…羽場先生…」

羽場「鷲尾さんの研究を引き継ぎたいってちっちゃい頃から言っていたじゃないか
 これでもうちの唯一の学生なんだ
 怖がらせないでやってくれ」

エマ「ふふ」

エマが吹き出した後、田丸は(え?)と目を丸くする。

エマが愉快そうに笑い出す。
エマ「あはははは
 うっそよ〜! 悪かったわ
 冗談よ冗談!」

「はい。お詫び。サルミアッキよ」とエマは田丸にサルミアッキを渡す。
田丸「!?」(サルミアッキ!?)

エマが羽場に握手を求める。
エマ「久しぶりね。ミスター羽場」

羽場はエマの握手に応じる。
田丸は受け取ったサルミアッキを食べて「うぇ」と吐きそうな顔をする。
羽場「あぁ…何年振りだろう。エマ
 大きくなったね
 全然わからなかったよ」

エマ「そ? 私、これでも結構業界では知られてると思ったけど?
 日本ではまだまだなのね」

田丸は青ざめた顔で羽場の方を見る。
田丸「お、お知り合いだったんですか?」
羽場「あぁ。僕がポスドクの時――あぁ…つまり鷲尾さんと研究してた時にちょっとね
 家に伺ったらいつも鷲尾さんの膝に乗ってるのをよく覚えてるよ」

帽子のつばを掴んで神妙な顔をするエマ。
エマ「昔の話だわ
 それに今はおじいちゃんもいないしね」
同じく羽場も神妙な顔をする。
羽場「…そうだな」

羽場「ところでどうしてこんなところにいるんだ?」
思い出したように周りを見渡す羽場。

エマ「それは」
溝口「それは私の方から説明します」

羽場達は溝口の方を振り返る。
溝口「ちょうどいい
 羽場先生も来たことだし最初から説明しましょうか」


羽場達が長机の前に立つと溝口は「さて」と口を開く。
溝口「羽場先生は人類消失事件をどのくらい知っていますか?」

羽場「そんなには知りません
 ニュースで見たくらいですよ」

溝口「田丸君はいかがですか?」

田丸「ぼ、僕も羽場先生と同じくらいです
 半年前から世界中で起きている、予兆もなく人が突然消える事件くらいの認識です
 日本でいう神隠しみたいな」

「すみません」と田丸が恐縮するが溝口は頷く。
溝口「いえ、充分です」

溝口「そうです。今世界中で問題となっている神隠しですね」

溝口「部屋にいても歩いていても会話していても突如として人が消えたそうです
 …そうです、というのは誰も消えた瞬間を見ていないからです
 目を離した瞬間や監視カメラの死角など…誰も見ておらず記録にも残らない場で人が消えてしまう
 しかも痕跡もなく不特定で時間帯も場所もまばら
 事件と言うより、むしろ自然災害のような謎の現象ですが、それが今世界各地で起こっています」

羽場「…それでどうして僕が呼び出されたんでしょう?
  エネルギー専門の僕には関係ないような…」

エマ「それが関係あるのよ」
腕を組んでいたエマがサルミアッキの箱を持ちながら片方の手を前に出す。

エマ「羽場とおじいちゃんが開発したクリーンエナジー資源『未来資源F』とその資源のクレイジーな取得法
 羽場の学生なら田丸も知っているんでしょ?」

田丸「あ、はい。そうですね
 でも詳しい取得法まではちょっと……先生には教えられていないです」

エマ「あら? そうなの?」

田丸「ここの施設で生産していることは知っているんですが…」

羽場「一応国家機密ではあるからね
 彼はM1だし僕の研究室にいるとはいえ、一学生が知るには少し荷が重すぎる」
取得法がブラックボックスでも出来る研究はあるからね、と羽場は頭を掻いて空笑いする。

エマ「そういうことね」
エマはサルミアッキを口に放り込み、それを見た田丸はドン引きする。

エマ「それならその生産量も知らない?」
田丸「それなら知っています!
 確か今は原油の半分ほどですよね?」

エマは悲しそうに微笑みながら首を横に振る。
エマ「ざっと原油の1/10」
田丸「え……?」
エマ「それが現在の生産量よ」

田丸が目を丸くして叫ぶ。
田丸「え? そんなどうして…?
 材料が足りていないとかですか?」

エマ「材料は足りているし、減らすことはしていない
 けれど採掘しても想定値よりも大幅に下回っているの」

田丸「! つまり資源が消えている?
 そんな! ありえません!
 いったい急にどうして!?」

羽場「僕も同感です
 未来資源研究所の生産設備は、鷲尾さんが監督しただけあってかなり安定しているはず
 急にそんな減るなんて……いったい何があったんです?」

だがここにいる全員が沈黙し困ったように顔を顰めた。

羽場「なるほど…原因不明ですか」
羽場はふぅとため息を吐く。

溝口が眼鏡を掛け直す。
溝口「すみません。研究所の方でも原因調査は進めているのですが、これといった成果はないそうです
 ただある時期を境に段階的に消えたように減ったと…
 その時期というのが――」

エマ「半年前よ」

羽場「……ちょうど人が消え始めた頃ですか」

駐日米大使が厳しい表情で羽場を見る。
米大使「我が国では、人類の消失と未来資源Fの減少に関連があると見ています」

警察も険しい表情をしていた。
警察「我々も同じ見解を示しています」

溝口「ということで羽場先生」
羽場「………………はい?」(嫌な予感がする)
羽場は面倒くさそうな顔で溝口を見る。

溝口「ここの研究所で未来資源Fの減少について調査していただけないでしょうか?」

エマ「私も手伝うわ
 人類消失についてはそれなりの仮説があるの
 未来資源Fについて詳しく教えてくれれば
 おそらく原因が掴めると思う
 尤もそれでも調査は必要だけどね」

田丸「羽場先生!」
田丸が爛々と目を輝かせながら羽場を見る。

田丸「僕もお手伝いしてみたいです!
 僕も未来資源Fについてはそれなりに知見があります
 何かお役に立てることがあるかもしれません!」

溝口「羽場先生」
エマ「羽場?」
田丸「羽場先生!」

彼らの圧に押され、羽場は引き攣ったような笑みを浮かべる。
羽場「えっと……」


夜。高級レストランの一席。
アカリ「それで? 断っちゃったの?」
黒髪のロングで切れ長の目をした女性――羽場アカリがドレス姿でワインを片手に首を傾げる。
モノローグ「羽場萃の妻 羽場アカリ」

正面に座る羽場も髪はボサボサで安いスーツだが、それなりに身なりを整えた格好でメイン料理を頬張る。
羽場「あぁ。僕が手伝っても仕方ないからね」

アカリ「でも萃が一番詳しいんでしょ?」

羽場「確かに僕は鷲尾さんと一緒に未来資源Fを発明したよ
 けれど僕はただ閃いただけの凡人
 生成法も取得法も理論の整備も、細かいところは全部、鷲尾さんひとりでやったんだ
 未来資源研究所だって僕は何にもしちゃいない
 むしろ研究所の皆の方が詳しいくらいだよ」

そんなことよりも、と羽場はアカリの手を両手で優しく包む。
羽場「僕は愛する妻のために時間を使いたい」

アカリ「ふーん。まぁそれならそれでいいけれど」
アカリは優しく羽場の手を退け、ワインを一口飲んだ。
(あ…)と若干がっかりする羽場。

アカリ「でも未来資源Fと人類消失事件に関連性があるなんてちょっと面白そうだよねぇ
 実際なんか考えてるの?」

羽場は興味がなさそうに水の入った水差しを持つ。
羽場「うーん…正直あまり関係ないと思う」

虚空を見つめながら羽場は自分のコップに水を入れ始める。
羽場「同時期に消えたからって、みんな相関があると考えてるけど
 未来資源Fはその取得法も含めて、鷲尾さんが綿密に計算と実験を繰り返しながら開発したんだ
 特に安全性については細心の注意を払っていた
 人類消失する程の危険性があるならすぐにわかったと思うし、鷲尾さんなら即刻中止していたと思うよ」
アカリ「……」

羽場は集中しすぎてコップに水を注ぎすぎて溢れるのに気がつかない。
羽場「けれど仮にもし、相関があるとするなら――
 むしろ"逆"の方が僕としては納得するけど、ね」

アカリはさり気なく羽場から水差しを奪い取り、テーブルに溢れた水を拭いた。
アカリ「ふーん。でもその話を伝えるだけでもいいんじゃないの?」

羽場は首を大きく振る。
羽場「い…いやいや!
 そしたら結果的に最後まで面倒をみなきゃいけなくなるだろ?
 こういうのはやる気のない僕よりも、情熱のある田丸君とかがやった方が絶対に成果が出るよ」

エマ「ふーん…そういうことね」
羽場「!!」
羽場の後ろでエマが腕を組みながら失望したように羽場を見ていた。
その声に羽場は目を丸くして驚き、振り返る。

羽場「エマ!? …がどうしてここ――」
アカリ「わぁ。エマちゃんじゃん!
 久しぶり!」
アカリは満面の笑みで立ち上がりエマを歓迎する。
羽場「え?」

エマは腕を組みながら軽く手を上げる。
エマ「ハロー…アカリ。久しぶりね」

羽場は目を丸くしてアカリを見る。
羽場「知ってたのか?」
アカリ「そりゃあ私だって大学の頃は鷲尾研だったからね
 よく研究室にも遊び来てたし
 私の世代で知らない人はいないんじゃないかなぁ」

羽場「研究室に? そうだったっけ?」

アカリ「まぁ萃が研究室に来てる時はいつも鷲尾さんとの議論で熱中してたしねぇ」
アカリは懐かしそうな顔をする。
アカリ「その時の面倒を私達が見てたのも知らないでしょ?」

羽場「し…知らなかった…」
羽場(確かに家に行った時は世間話だけだったなぁ…まさか研究室にも来てたなんて)

エマ「昔の話よ
 おかげ様で私も本当に大切な思い出になったわ」
「サルミアッキいる?」とエマはアカリにサルミアッキの箱を差し出すが
アカリ「ううん。遠慮しとく」
と優しい微笑みでやんわり断られる。

アカリ「それよりもどうしてここに?」

エマは呆れたようにため息を吐く。
エマ「あぁ…未来資源研究所で議論してた時
 羽場の様子がおかしかったからね
 船酔いもしたっていうし
 心配でこっそりつけてきたのよ」
案の定杞憂だったみたいだけど、とエマは羽場を見下すように睨み付ける。

羽場は首を傾げる。
羽場「様子? そんなにおかしかったかな?
 僕としてはいつも通りだと思うけど」

エマは「ふん」と鼻で笑う。
エマ「今の貴方からすれば普通なんでしょうね
 でも昔の羽場を知ってる私からすれば腑抜けも同然」

エマの目は怖いくらい冷酷になっていた。
エマ「最初は何か嫌なことがあって落ち込んでいるだけだと思っていたけど
 まさかこんなにも研究に情熱がなくなってるなんてね」
羽場「…………」
エマ「人類の危機だというのにまったく…呆れたわ
 羽場には失望した」

羽場「そうか…それは悪かったね」
羽場は自分の髪をボサボサと掻く。
羽場「あーでも申し訳ないけど僕は何も役に立てないと思うんだ」

エマ「やる気がないからね」
羽場「それもあるけど…僕は本当にただの凡人なんだ
 皆が思っているほど僕はすごくない
 僕よりも優秀で熱心な人はいくらでもいる」
羽場は和かな笑みをエマに向けた。
羽場「僕がいなくてもきっと成果は出るはずさ」

エマは羽場に向かって激しい怒りをぶつける。
エマ「だけど! 羽場はあの鷲尾一石が認めた――……!」

だがすぐに押し黙ると、肩を落とすように力を抜く。
エマ「……いや。なんでもない…もういいわ
 とにかく羽場がその気なら用はない
 調査は私がやる
 羽場は、のうのうとその着飾った料理を存分に味わっとけばいいわ!!」

エマは振り返り、怒りを隠さず出口へ向かう。

エマ「全くどうしておじいちゃんはこんな人を――」
囁くようにそう言うと、エマは悔しそうな顔で歩いていき、
ガシャーン!
とレストランのドアを豪快に閉じ去っていく。

しばらく静寂が続くが、やがて羽場はアカリの方を振り向いて、何事もなかったかのように笑みを浮かべる。
羽場「さ。仕切り直そうか
 デザートもちょうど来たみたいだよ
 うわぁー…美味しそうなケーキ!」
テーブルに置かれたデザートを見て目を輝かせる羽場。

そんな羽場を呆然と見るアカリ。
アカリ「…………」
羽場「? どうしたんだ?」
羽場はアカリの方を見て首を傾げるが、すかさずアカリは首を横に振って微笑む。
アカリ「ううん。なんでもない
 デザート食べようか」


食後。羽場とアカリはレストランを出て夜道を歩く。
羽場「はぁ…美味しかった〜」
アカリ「…そうだね」
羽場は満足気にお腹を摩る。
アカリは羽場の後ろを歩き、浮かない笑みをしている。

羽場「やっぱあそこのデザートは絶品だねぇ
 初めて一緒に行った時から全く変わってない」
アカリ「萃は甘いものに目がないもんね」
羽場「ちょっと邪魔が入ったけど
 あそこのデザート食べたらもうどうでもよくなったよ」
アカリ「邪魔か…」
羽場「ん? どうした?」
羽場が後ろを歩くアカリに振り返る。

アカリ「ねぇ萃。エマちゃんの手伝い…本当にしないの?」
羽場「さっきも言った通りさ。
 僕は役に立たないからね
 それにエマも用がないって言っていたじゃないか」

アカリ「……本当に?」
羽場「…………」
羽場は笑みを浮かべたまま表情が固まる。

その後振り返り、夜の空を見上げた。
羽場「…役に立たないというのは本当だよ
 でもそれ以上に僕はこのアカリとの日々を崩したくないんだよ」
アカリ「……」
羽場「研究は自分の生活とトレードオフだ
 ひたすら考え、調べ、悩み、仮説を立て、計算し、実験する
 答えに辿り着くまでその繰り返し
 オフの時でも、ふとした時に考えてしまう
 私生活に研究が侵略してくるんだ
 そんな生活をして病んだ人を何人も見てきた
 鷲尾さんだって…未来資源研究所が出来た途端、行方をくらましてしまった
 こんな僕だって一度成功したんだ
 もうこれ以上は充分だよ
 だから僕はもうほどほどでいいんだ」

アカリ「そっか…萃がそれでいいならいいんだけど…
 でも――」

アカリは眉を顰めつつ微笑んだ。
アカリ「研究に没頭していた頃の殺気めいた"羽場さん"もかっこよかったけどねぇ」

その発言に羽場は固まる。
羽場「…………かっこ…いい…?」
アカリ「それよりも萃に伝えなきゃいけないことがあるんだよねぇ」
羽場「かっこいい……か」

羽場の目の前で手を振るアカリ。
アカリ「あれ? 聞いてるー? 萃?」
羽場「そうか…アカリが僕のことを…そうか」

羽場はキラキラとした瞳でアカリの肩を掴む。
羽場「わかった!!
 アカリがかっこいいというなら!
 僕も調査しよう!」
そんな羽場にドン引きするアカリ。

アカリ「え、えぇ〜……まぁでもそれなら頑張って
 萃の好きなプリン作って待っててあげる」
羽場「プリン!? やったーわかったよ!
 やる気出てきたぁ!
 さっそく未来資源研究所に行くぞ!」
と羽場は高らかに両拳を上げ宣言するが、
羽場「でも――今日は遅いから明日行くか」
すぐに落ち着きを取り戻し、ポッケに手を入れて帰るために歩く。

そんな羽場を見てアカリはため息を吐き、眉を顰めつつ微笑む。
アカリ「萃らしいね」
羽場「? 何が?」
アカリの方を見て首を傾げる羽場。
アカリ「ううん。なんでもない。帰ろうか」
アカリは羽場の腕に絡まり、二人して歩いて帰る。

羽場「アカリのプリンは世界一〜♩」

――そんな時羽場のポケットではメールの通知が浮かび上がっていた。


翌日。羽場とアカリが寝ている寝室でけたたましく携帯電話が鳴った。

羽場(ん? 誰だ?)
携帯電話の画面を見ると、「田丸研一」という文字が。
羽場(田丸君…?)

羽場は携帯電話を耳に当てる。
羽場「田丸君か。朝からどうした?」
田丸「大変です! 先生!!!!」
耳を劈くような田丸の叫び声が電話越しで聞こえた。

羽場はボサボサと頭を掻きながら寝室を出る。
羽場「大変…って何が?」
田丸「テレビつけてください!」

羽場「?」
首を傾げつつも、羽場はテレビのリモコンを持ち付ける。

慌てた様子のニュースキャスターと画面端にスペースコロニーアルファが映し出されていた。
ニュース「速報です!
 本日未明。スペースコロニーアルファが消失しました
 スペースコロニーアルファは人類の宇宙移住のための実験施設として建設中であり
 日本人宇宙飛行士の野口衛さんを含め6人の宇宙飛行士が現在滞在しています
 しかし消失した現在未だ通信が取れず安否不明――」

羽場は呆然とそのニュースを見る。
羽場「スペースコロニーが消えた…?」
田丸「そうなんです! 日本上空にいる時に忽然と姿を消したみたいなんです!
 しかも消えた時の反応もデータも何ひとつないって…!」
羽場「! そんなことあるのか?」
田丸「わかりません
 ただ消える直前、世界各地で通信障害が起こったみたいで
 ここでもコンピュータに不具合があって…」

羽場「ちょっと待ってくれ
 田丸君は今どこにいるんだ?」
田丸「未来資源研究所です
 あの後、泊まらせてもらって調査のお手伝いをしていたんです」

田丸「スペースコロニーの消失は人類消失事件と関連があるかもしれません!
 先生もご助力いただけませんか?」
羽場「あぁ…そうか。わかった」
田丸「え!? マジですか!?」
羽場「ちょうど未来資源研究所に行こうと思っていたんだ
 行く道中で僕なりに仮説を立ててみるよ
 それじゃあまた研究所で」
電話を切った羽場は、ようやく携帯にメールが届いていることに気がついた。
羽場(なんだ? メール?)

メールを開くと、メールの内容は文字化けしていて読み取ることができなかった。
羽場(文字化けしてる。でもこのアドレス…どこかで…?)

ガタンッ!
だが、突然寝室の方から物音がして、羽場は振り返る。

羽場(アカリ…か?)
ごくりと喉を鳴らし、羽場は寝室に向かう。

羽場「アカリ? ごめん。起こしちゃったか
 ――って…」
だが寝室には誰もいない。
アカリが動いた痕跡はなく。

羽場(アカリ…?)
――羽場アカリは忽然と姿を消した。


モノローグ「西暦2億5千万年」
赤色の空。山々が連なる赤色の大地の上で、黒い細身の宇宙服を着た女性がゆっくりと歩を進める。
手にはレーザー型の片手銃を持ち、首にはペンダントが掛けていた。
やがて女性は止まると、空を見上げる。
その頭部のヘルメットから見えた顔は、羽場アカリにそっくりだった。

???「……ハバ…?」

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