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集まって話しをする。ただそれだけのことが、なぜこんなにも充実するのだろう?

情報のあるれるこの時代に、
コンテンツを提供することの意味をずっと考えていました。

何かが欲しければ
「○○ 安い」
で検索すればいいし

稼ぎたかったら
「FX 儲かる」
などで検索すればいいことでしょう。

必要な情報を簡単に引き出せる現代においては、
その人にとって直接価値になりうる情報だけが生き残ります。

テラコ学校は、
そのような情勢の中始めた活動です。

「仮想の学校」として、学びたい人たちが集まれるコミュニティを目指して活動していて、その人にとって何か学びになるコンテンツ作りをしています。

でも例えば、

トレーダーが絶対に儲かる投資術を教える訳ではありません。
転職に有利な資格を取得できる講義がある訳でもありません。

その人にとって、直接何かが手に入るようなコンテンツがある訳ではありません。

それなのに、
この時代において、価値にならないコンテンツを提供する意味はあるのだろうか?

テラコ学校という活動をしつつも、
そんな葛藤を抱えた状態が続いていました。

しかし、
ある出来事がその考えを打ち消しました。

テラコ学校では今、
InstagramでのLive配信に力を入れています。

特にテーマを定めている訳ではありません。
その時の登壇者がテーマを決めて、
思っていること、考えていること、
その思考を表現します。

ただそれだけと言えばそれだけですが、
このとき、重要な反応が起きます。

それは視聴者からの反応です。

最初は「いいね」だけだったものが、
コメントになり、
さらに意見になってきました。
視聴者も思考を表現してくれるようになってきたのです。

誰かが思考を表現すると、
別の誰かがそれに反応してくれる。
それを繰り返すと、
不思議と思考が整理され、
今まで見えなかったものが見えてきて、
思考が先に進んだことを感じました。

さらに不思議なことに、
それは視聴者もそう感じるようです。

Instagramのライブ配信という媒体こそ使っていますが、
その上では「語り合う」という行為が繰り広げられたのです。

それはまぎれもなく、
思考と感情の交流でした。

そこで確信しました。

人からの反応は情報ではない。
それは孤独を忘れさせてくれるということ。

ただ情報を享受するだけでは味わえない、
確かな充実がそこにはあるということ。

僕らは、
情報を受け取るためだけに聞いている訳でも、
情報を展開するだけに口を開いている訳でもありません。

情報を受け取ることも展開することも簡単にできるようになった現代。
何かを知りたいだけだったら検索すればいい。
何かを伝えたいだけだったら投稿すればいい。

わざわざ集まって意見交換をすることは効率面はおろか、
意味のないことかもしれません。

だからこそ、
情報以上のやりとりが求められているのかもしれません。

人類はかつて、
火を囲んで語り合ってきました。
ストーリーを伝えるために。

それは情報の伝達を超えた、
思考と感情の交換会だったのでしょう。

現代はどうでしょうか?
人と人を集める「火」が必要になっていないでしょうか?

情報伝達を超えた、
コミュニケーションをするために。

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