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society5.0について調べてみたら違和感を感じた話

SDGsについて調べていたつもりが、つられて出てきたsociety5.0について何となく違和感を感じ、色々考えてしまいました。
結果、次の社会像を自分なりに考えてしまう事態になったのですが、せっかくなのでその考察を綴ります。

society5.0って?

まずsociety5.0とはなんでしょうか。
内閣府によると次のように書かれていました。

Society 5.0とは
サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)
狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指すもので、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されました。

情報社会である現代の次を担う、新たな社会像と言うことでしょうか。ちょっと難しいですね。
こちらのページの記事がとても参考になりました。


さて、こちらの記事にも書かれている通り、society5.0にいたるまでに、society1.0から4.0があるようです。
それぞれ以下のように対応しているようです。

society1.0から5.0まであるよ

society1.0 狩猟社会
society2.0 農耕社会
society3.0 工業社会
society4.0 情報社会

ざっと見てみても3.0から毛色が変わるのがわかります。
近代化というか、産業が発達し、経済社会に突入していますね。
以上から僕は、3.0以降は産業界の社会と理解しました。

それを踏まえて5.0に目を向けると

Society 5.0で実現する社会
これまでの情報社会(Society 4.0)では知識や情報が共有されず、分野横断的な連携が不十分であるという問題がありました。人が行う能力に限界があるため、あふれる情報から必要な情報を見つけて分析する作業が負担であったり、年齢や障害などによる労働や行動範囲に制約がありました。また、少子高齢化や地方の過疎化などの課題に対して様々な制約があり、十分に対応することが困難でした。
Society 5.0で実現する社会は、IoT(Internet of Things)で全ての人とモノがつながり、様々な知識や情報が共有され、今までにない新たな価値を生み出すことで、これらの課題や困難を克服します。また、人工知能(AI)により、必要な情報が必要な時に提供されるようになり、ロボットや自動走行車などの技術で、少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服されます。社会の変革(イノベーション)を通じて、これまでの閉塞感を打破し、希望の持てる社会、世代を超えて互いに尊重し合あえる社会、一人一人が快適で活躍できる社会となります。

以上内閣府のページより引用しました。
4.0の情報化社会をさらに加速させ、イノベーションにより社会課題を解決していこうといった感じでしょうか。

ここで思うのは、5.0も産業的な社会像だということです。

3.0以降、産業によって社会が発展してきたのだから当たり前なのですが、そこに何となく違和感を感じていることに気づきました。
たとえばロボットなりAIなり、産業的な技術かと思いますが、そんな技術ありきでの社会像、つまり
産業界観点での社会像が4.0の次を担うべき社会像なのか?

という疑問に落ち着きました。

そんな疑問を抱えていると、
4.0である現代の次に来る社会象とは?
について、思わず自分なりに考えてしまうのでありました。

society4.0の情報化レベル

そこで思ったのは4.0の情報化のレベルです。

5.0ではIoTをさらに加速させるように読み取れますが、僕は4.0の情報化レベルですでに一種の特異点を迎えている様に思います。

それは個人同士が簡単に繋がれるということです。

1.0から3.0を見てみると、土地だったり、企業だったり、
個人の繋がりとは、その人が置かれた「社会」の中に閉じるものでした。

しかし、4.0の情報化がその「社会」の壁を壊してしまった。

これは、「社会」を超える力を、個人が手に入れてしまった。と言うことではないでしょうか。
言い換えると、
社会に縛られることなく社会を出ていける。
という状態になったのが、4.0の終盤だと思いました。

個人が繋がれるということ

こんな状態、4.0までの社会にあったでしょうか?

社会に縛られることなく、個人が自由に繋がれる社会

もしこれが大規模に発生したら、その個人の繋がりは、ただの「繋がり」と言えるでしょうか。
僕はその「繋がり」が、どこかのタイミングで「社会」になってしまう気がしてなりません。

むしろそれによって発生する社会こそが、society5.0ではないでしょうか。

もちろんsociety5.0という言葉には、内閣府も定義付けをしており、それについては疑いの余地はありません。

しかし、次にどの様な社会がやってくるかについては、僕たちは考える必要があるのかもしれませんね。

せっかくなので次回は、教育面でこの現象を考えてみることにします。

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