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ゆる漫画レビュー:第5回『天幕のジャードゥーガル』

オススメのマンガを、ゆる〜く紹介していく「ゆる漫画レビュー」。
第5回目は『天幕のジャードゥーガル』(トマトスープ)。
2022年末には、まだ単行本が1巻しか刊行されていない段階で「このマンガがすごい!2023」(宝島社)オンナ編で1位、「週刊文春エンタ+」(文藝春秋)の「週刊文春エンタマンガ賞!」2022年下半期の最高賞に選ばれた作品です。

『天幕のジャードゥーガル』トマトスープ(秋田書店)

主人公ファーティマは、実在した歴史上の人物をモデルにしています。そのモデルとは、モンゴル帝国の後宮に仕え、第6皇后ドレゲネの側近となったファーティマ・ハトゥンです。
モンゴル帝国では、皇帝崩御から次期皇帝の選出までのあいだ、皇后が国政を取り仕切る慣例がありました。ドレゲネが国政を握った時期を「ドレゲネ称制期」といいます。ドレゲネおよびファーティマの報復人事により、多くの高官たちが地位を失ったそうです。やがて失脚後、ファーティマは「ジャードゥーガル(魔術師)」と呼ばれて処刑されました。
本作『天幕のジャードゥーガル』は、このファーティマ・ハトゥンの生涯をベースとした伝記フィクションです。

1213年、イラン東部の都市トゥースで学者一家に引き取られた奴隷の少女シタラは、一家の子息ムハンマドから賢くなることの大切さを教えられます。それから8年の歳月が流れ、トゥース軍はモンゴル帝国に敗北。モンゴル軍の捕虜となったシタラは、かつての主人(=学者一家の奥様)の名前「ファーティマ」を名乗り、奥様の持ち物であったエウクレイデスの『原論』を取り返そうと心に決めます。
そして、ファーティマはドレゲネと出会うのでした。モンゴル帝国に愛する人を奪われた者同士が意気投合する。そこまでの経緯が、この第2巻で語られます。

歴史の授業で学んだとおり、モンゴル帝国はチンギス・カンによって創始されました。そして5代クビライのときに征服王朝の元朝を開きます。この『天幕のジャードゥーガル』の時代背景は、初代チンギス・カン死去から元朝樹立までのあいだ。あまり日本では知られていない(歴史の授業では習わない)、端境期を題材にしています。
このため「史実を知っているとストーリー展開が読めてしまう」という、歴史物ならではの難点を、あまり感じることなく物語を楽しんでいけますね。

主人公のシタラ(=ファーティマ)は、「知」を武器に、みずからの人生を切り開いていきます。
……と、言葉で言うのは簡単だけど、「知」をマンガで描くのは本当に難しい。なぜなら、主人公の「知」を際立たせたいがために、相手をバカとして描いてしまうと、とたんに物語全体が安っぽくなってしまうからです。
『天幕のジャードゥーガル』に出てくるモンゴル軍は、イスラム世界で「学問」に触れたファーティマの目には「蛮族」に映りますが、ただ無知蒙昧で野蛮な相手として出てくるのではなく、文化が違う、価値観が違う相手として彼女の前に立ち塞がります。
ファーティマの「知」がアカデミズムに裏打ちされた実践知であるのに対し、モンゴル人たちには体験や慣習に基づく経験知があるんですね。ファーティマとモンゴル人のあいだには、つねに「文明の衝突」が起きるような見せ方をしているところが、この作品のうまいところです。

そして、この物語を駆動するものは、「恨み」とか「怒り」といった情緒です。それを表現するのが、ファーティマの目ですね。目の作画が抜群なので、彼女の感情が痛いほど伝わってきます。感情移入して思わず応援したくなる……なんてのは、主人公として理想的じゃないでしょうか。

あまりメジャーではない時代のお話、なじみのない文化圏の人名など、一見すると取っ付きにくさを感じるかもしれません。しかし、新規に登場するキャラクターごとに、その人物の背景や、ファーティマとの関係性を示してくれます。実際に読んでみると、取っ付きにくさを感じることなく、ストレスなく読み進めることができるはず。

ファーティマがドレゲネと出会い、さあこれからどうなる……、ってところまで、とりいそぎ第2巻までを読んでみてほしい作品です。

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