病の理由と涙の理由#19

身長、体重に始まり、レントゲン、CT、脳波測定、
あれやこれやと検査は進んでいった。
合間をみてはピアノレッスンも進めていた。
高校の時の音楽教諭にお願いしていた。
声を聞くのも数年ぶりで少し抜けているような
所がある、なんだか憎めない教師だったのを覚えている。
義務的に教わるのも性に合わないので、
手元に楽譜があった、とあるゲームの音楽から
抜粋して教わることにした。
先生も音大卒なこともあり、BPMとなんとなく伝えると
すぐにピアノを鳴らしてくれた。譜面はメールで共有していた。
好きなことを教わるのはそれこそ僕のポリシーに反していた。

それでも、音楽について一度くらいは
教わってみたかった。

先生は高校卒業後、まもなく学生の身分にしては
分不相応な敷居が高そうなお洒落なお店に連れて行って
くれて、バースデイケーキまで御馳走になった。
火傷をしない、線香花火みたいなものがケーキの上に立てられていた。
そのあとはカラオケボックスに入り、二人で色んな歌を
歌った。1曲歌うごとに流石、森君だね。と讃えてくれた。
そんな先生にも弱点が多々あったが割愛する。
ピアノの腕もまあ、、それなりと言ったところで
ショパンやヴェートーヴェンなんて弾いてるのを見たことはなかった。
でも、いつもどこか楽しげに話してくれる先生だった。
オリジナルを作っているというだけで、目を輝かせて
嬉々とした表情で話を聞いてきた。
でもあれから
まさか、僕が音楽でご飯を食べているなんて知らないだろう。

レクチャーを受ける時、以外は
他の患者に迷惑がかからないように
キーボードにシールドを差して演奏した。
SONYのモニターヘッドフォンを頭に被せると
鼓膜を伝い脳内にピアノの音が流れる。

ロクに奏でたことのない、楽器。
ベースは持っているだけで、いまは眠っている。

先生は教えることに対して
あたしは技量がないけど、なんて言い、戸惑いながらも
日々、レッスンしてくれた。

それは入院中の宿り木でもあった。

追求すればするほどに楽しくて、こんな音が欲しいと
思いは募る。
鍵盤の重さが物足りない。サスティナーもない。
グランドピアノがここに置けたらな、なんて
思う時もしばしば、あった。
スペースは充分にあるが、流石に断念せざるを
得なかった。調律もまあ面倒だったりして。
父はたまに様子を伺いに来てくれた。
当直の夜なんかは二人でワインを飲みながら
なんてことのない話もしたりした。
でも気がかりはやはり、この記憶障害について
その一点のみに限られる。
でも、あらゆる検査の毎日でMRIに入った時は
身体がこのまま拘束されたらとか
この音はなぜ鳴るのかと思わずにはいられない
騒音とかそんな人間としての防衛反応かな、得体の知れない恐怖を感じた。
血液検査の注射も痛かった。泣くほどではないけれど。
記憶障害にこんなの関係あるのかと思う日々。

そんなある日、父が病室に来てこう告げた。

「検査大変だったろう。解ったことがいくつかある。
まず、聴力が異常といっていいほどに発達している。
音楽家ならではだな。音楽を始めたのはいつか分かるか?」

「楽器を手にしたのは10歳くらいだと思う。」

「なるほど。それだけ早ければそうなるのも納得できるな。
それに染色体異常だ。18トリソミーは知っているか?」

「聞いたことあるかどうかって、レベルで確かではない。」


「それとはまた異なるが、
普通の人間と比較すると、あるはずの染色体の代わりに
見たことも聞いたこともない染色体が存在している。突然変異
としか言いようがない。そこに通常のプログラムを配置することが
不可能とは言い切れない。医療、脳科学は日夜、研究によって
発展、成長し続けている。だが今までその身体で生きてきた以上は
その場合の反動が起こることも否めない。
何が起こるか予測もつかない。これまでよりも生きにくくなる可能性
もある。」

「そうなんだ。詳しくないから、うまく飲み込めないけど
なんとなく言わんとすることは分かる。」

「そして、脳だ。シナプスと名付けられた神経回路などだ。
それがうまく機能せず、情報伝達のバグの発生率が非常に高い。
デジャブ、既視感、これは初めて見た景色を見たことがある、
知っていると勘違いする現象だ。これは実際に見たことがある訳じゃない。
似たような景色、夢で見た景色などを重ねてしまっている、
情報伝達のバグだ。ソウマの脳ではそれが頻繁に起こりやすい。
それこそ前世、来世の世界を覗いてしまっているような感覚だろう。
もしかすると、それもあり得るかも知れないというステージにいる。」

「実際問題、そのステージに居るかもしれないと僕も思っている。
0%も120%もただあり得ないことを証明するための数学的な定義であって
そんなのはこの世界には、文学的観点で言わせれば無いと思ってる。
だからそう思うのも純自然的見解だと思う。」

「そう。さすが俺の息子だ。賢く育ってくれた。エビデンス、
科学的根拠だな、それがないと何らかの事象を信じない人間もいる。
それも確かに大事なことかも知れない。ただその科学的に解明したと
判ずるものが実際に正しいのか。それは甚だ疑問だ。
こういったジャンルは知的好奇心や疑問を抱くことが前提になっている。
同じ研究を繰り返すうちに、脳がバグを起こし、人には見えない世界が
見えてしまったという可能性も十二分に考えられる。
人間なんて簡単に騙される。俺からすれば美しいとされる名画や
年代物の車、アンティークと称される骨董品、それらに何億とドルを積む。
そういった人種とは相容れない。なぜそれにそこまで出せるのか。
実用性も全くない。それが全てとは思わないが、
まあ価値観の問題だろうな。」

「で、それで僕はどうしたらいいんだ?
耳と染色体異常と脳の回路のバグ。これがトリガーになってる可能性が
高いって認識で合ってる?」

「今のところ、それくらいだな。それをいじるとなると
非常に困難を極めるのは確かだ。さっき言った通り触れたところで
どうなるのかも分からない。ソウマは今までそれにどう対処してきた?」

「僕サイドのコンプライアンス、医者としての守秘義務を以って
聞いてほしい。音楽だよ。知らない記憶を曲として描きだして
今の僕は此処に居る、生きている、そうして僕は僕として
在りつづけている。もしあの日、母さんからベースをプレゼント
してもらってなかったら、気が触れていたと思う。
そして身の周りに置くもの全てを維持し続けている。
変わってない、変わらない日常を抱き続けることで、
昨日と今日、そして明日への架け橋にしてきた。
このやり方が間違ってはいなかったんだと思う。
ただ、回復の兆しは全くなく、むしろどんどん悪化している
ように思う。怖いんだ、すごく怖い、僕が僕じゃなくなっていく。
いつか僕という存在を自身が知覚できなくなる日が
くるんじゃないかって。」

「いま聞いていて直感でわかったことがある。なにかトラウマはないか?
なにをどうしても揺るがないほどの焼きついて離れないような。」

「ある。あるけど、話したくない。」

「そうか。もちろん無理にとは言わない。ただソウマの母さんは
俺が愛した人は、何かを贈るとき、いつも絶望に寄り添ってくれた。
彼女は、美空は話してなかったと思う。
ソウマには実は兄がいる。聞いてない、よな?」

「初めて聞いた。どんな人だった?」

「俺の失態だ。父親としての怠慢でしかない。言い訳がましいが
俺も音楽をやっていた。あの頃は夢中だった。それ以外のことなんて
眼中になかった。美空のお腹に命が宿ったと知らされたのは
もう赤子の数え方で四カ月くらいのことだった。
俺は何も聞かされてなかったし、気づきもしなかった。
美空は俺の音楽の邪魔にならないようにと独りで頑張ってくれていたんだ。
情けない、人間として失格だと自分を責めた。
今でこそ分かるが、産前産後というのは非常に心身ともに疲弊する。
俺のことを気遣っている余裕なんてなかったはずだ。
美空が言うままに音楽を続けた。その結果だ、男ってのは無力なんだな。
美空の命か、子の命か、どちらか選択を迫られた。
胎盤が予定よりもかなり早く剥離したんだ。それを抑えるために
ドクターも全力で応対してくれた。でもそこが剥離すると
赤子の命はそんなに持たない。そして美空の出血量も異常だった。
俺は新しい命を歓迎できなかった。愛する人を選んでしまったんだ。
この子を助けて、私のことはいいからと泣き叫ぶ美空の姿は
今でも忘れられない。
忘れられるはずがない。忘れてはいけない。
その想いが俺の身体を変えた。今のソウマと同じだ。
そのあとすぐのことだ。美空は日々、なにかに追い立てられるかの
ように鶴を折っていた。
赤子の生まれるはずだった日、3月31日。
俺の生まれた日、11月4日。美空の生まれた日、2月4日。
合計469羽の鶴を折ったんだ。
そしてそれを俺にくれた。その時だ、俺がベースを捨てて
医者になろうと決意したのは。
でもどうしても産科医や小児科医になろうと思えなかった。
本来、そこに行きつくべきはずだったのかも知れない。
でもどうしても思い出してしまうんだ。美空のあの涙を。
その鶴を渡された時、数を聞いてすぐに分かった。
そういうことかと。あなたは悪くない、悪くないのよ。
無理に忘れようとなんてしないで。星になったあの子が
悲しむから、あなたが泣いてたらあの子はどう思うと思う?
そう優しく泣きじゃくる俺に語りかけて諭してくれた。
泣いても、泣いても、どんな名医でも死んだ者を蘇らせることは
出来ない。それは自然の摂理だ。
だから俺は誓った。医者になってこの手が拡がる限り、
伸ばせる限り、生きている限り、救える命を救おうと。」

ただ、ただ二人で涙してしまった。

「ソウマが音楽で自分を保っているように、俺は
一つでも一人でもより多くの命を救うことで
今の自分を保っている。家族のもとへと笑顔で帰っていく
患者さんを見送るたびに思う。
俺が助けてるんじゃない、俺がその笑顔に救われているんだと。
ソウマは音楽で人を楽しませたり、悲しみに寄り添ったり
しているんだと思う。Moon Raver だったよな?
辞めるな、なにがあっても絶対に。そんな気はソウマには
きっとないと思う。だが、きっと日本でメンバーは待っていると
思う。帰ってくるときっと信じて。
俺、ひとりではこの病院は成り立たない。
多くの人に支えられて、今の俺があるんだ。
ソウマ、お前にも多くの仲間がいるだろう?
想い人もいるだろう。気持ちの整理がついたら帰ってあげなさい。
父親である俺と、もしこれが最期の別れになったとしても
俺が手放したその黒いベースを刀にして盾にして家族として
この世界にいい音楽を届けてくれ。
俺も少し離れたところからいつだって応援している。
父親なんて情けないものでそれくらいしかできないが、
忘れるなよ。兄のことも俺のことも美空のことも。」

涙を流しながら、父は語ってくれた。

忘れない。忘れないよ。
ラブのことも、お兄さんのことも、父さんのことも
母さんのことも。


今年のクリスマスは10年ぶりに皆で
ブッシュドノエルを食べよう。
グレープフルーツロゼスパークリングワインを添えて。

きっと涙の味がする。

人生の本当の味が。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?