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はたらくとは楽しみながら好きなことをすること

昭和人の私が、”はたらく”で連想するのは小学校の社会科の授業で見た『はたらくおじさん』というTV番組です。

その番組の中でおじさんたちは、よく働いていた。

それを見て、男子は学校を卒業すれば、働くものだとなんとなく考えた。放課後、校庭の掃除をするようにごく普通に。

当時は終身雇用、1億総中流時代。まず我慢して働いて定年後好きなことをするというモデルがサラリーマン道だった。

私もアラカン世代となり、既に企業を退社し”はらたく”ということが最近よくわからなくなっていたので、じゃあ自分は、サラリーマン以外では何をしたかを思い出し、すべて学生時代の経験だがリストにしてみた。

・工場のライン作業
・喫茶店のウエイター
・ファーストフード店の店員
・通信教育の添削者
・家庭教師、塾の講師
・道路の交通量調査
・お墓の清掃
など

共通点は、
・自分の手足と頭を動かした。
・多くの人と話したり、指示、指導を受けた。
・時間を使った。
・対価としてお金を受け取った。
・様々な学びがあった。

これらの共通点は、サラリーマン時代でも同じなので、”はたらく”とは、
 人と関わりながら、自分と時間を使い、対価としてお金と学びを得ること
と一旦定義した。

でもなぜか腹落ちしない。

では、私にとって”はらたく”の反対は?
 人と関わるかどうか、時間を使うかどうか、お金、学びを得る得ないもすべて自由

ということ?
つまり、”はらたく”の反対は”自由に好きなことをする”ということなのか?好きなことを我慢することが”はらたく”ということの本質なのか??

サラリーマン時代の”はたらく”の中では、自分の考えとは異る業務命令を受けたり、会社都合の転勤などもあった一方、それらは悪いことだけではなくて、自分ができる範囲では到底得られない学びも多々あった。

よく投資界で言われる
 『お金に働いてもらう』
言い換えると、

自分に好きなことをさせて働かせることでお金が生まれ、そこから得たお金が働きだすということ、

つまり好きなことをしながら、人と関わりあい、時間を共有する中で、自然とお金や学びや楽しみが生まれるということでは?

よって”好きなことをする”は、論語の教えのように”はらたく”の反対ではなく進化形ではないか?

『子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず』
(孔子先生はいった。物事を理解し知っている者は、それを好んでいる人には及ばない。物事を好んでいる人は、それを心から楽しんでいる者には及ばない)

ここまできてやっと見えてきた。

今ブームの『働き方改革』は、実は『楽しみ方改革』で、仕事自体を趣味のように楽しみながら働けるように変える自己改革だ。

好きなことして生活ができなければ、それはそのとき考えるとして。。。


まとめ

父親が私に残した言葉は、ひとつしか記憶にない。
「他の人と同じことをするな」
友達が持っていたおもちゃを父親にせがんだとき、

同じものはやめておけと言われて買ってもらえなかったので強く記憶に残っている。

”はたらく”とは、
偶然にも与えられた今の環境で、自分の好きなこと、自分にしか出来ないことを楽しみながらやるということ。

過去をふりかえりながら、ごく普通の結論、
  はたらくということは楽しみながら好きなことすること
となりました。

【今日のひとこと】
できることを、あるものを使って、今いるところから始めなさい
(アメリカ合衆国大統領:ルーズベルト)

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