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学びを軸にしたまちづくり|9年間のスタンス

 大学院時代の同期と11年振りの再会。KAIST(韓国)でのi.schoolのworkshop以来。フィールドもスケールも異なる一方で、同じ興味関心をもって今なら話せるのが嬉しい。SNSのお陰で互いのキャリア、活動を知っているから思い出は挨拶程度で済ませ、これから一緒にどんなことができるか話せるのが気持ちいい。

 ビジネスの世界で活躍してきた彼に引け目を感じていた。地域の学びや教育環境をその土地から立ち上げることに取り組んできただけだから、金融や契約のことはまったく門外漢。彼にそのことを伝えると、「逆に、教育のことはまったくわからないしできない。でも、やらなきゃならないことだからすごく尊敬しているよ」と一言。

 そうだ、9年もずっと考えてきたこと、考えてやらなかったことを、敷衍して言語化して見えている世界を共有してみたらどうか。「五城目=学び」と知っている仲間ならみんな答えてくれる。”学び”に込めた思いを話してみたいと思う。

学びが巡る環境作り

 学ぶって1人ではできない。高校生や大学生が地域で取り組むと、周り大人は刺激を受ける。「若い子があんなに活動しているなら、もっと私たちも頑張れるはず」って。地域に高校生や大学生がウロウロしているだけで、なんだか地域は明るくなる。
 学生が地域にいる時間を長くできるような仕組みを作ること。学生が地域にこれない障壁は、案内する人がいない、活動がないのもそうだし、交通手段がない、宿泊施設がないのもそう。
だから、学生が泊まれる学生寮を用意し、案内人となる学生を1人住んでもらう。さとのば大学と連携してLearningJourneyを実施するなど。地域の企業が学生をインターンやアルバイトとして雇うことも大切。地域にいる時間や機会をどれだけ育み、1つ1つの活動が地域の記憶として学びに結びつけていけるか。そのストーリーを作っていく。
 あとは、教育留学など制度を実施するだけでなく、学びにきてくれた家族も大切に、そして受け入れる地域の寛容性が高まっていくこと、フィールドワークの受け入れが学生だけでなく地域の学びにつながっていくこと。そこまで学びが巡るようにならないと、ただ地域は消費されるだけになる。一過性のコンテツではなく、それを地域がどう受け止められるような関係を作るか。学びがあればいいだけでは、地域は消費され続ける。

地域にある資源で作る


 海士町や神山町は特別にどうしても見えてしまう。政治が安定していて、国から特別な予算を多々引っ張ることができる。もちろん、政治が安定しているのも地域の資源ではある。
 日本にある1700ある市町村のうち、国に提案をして予算をひっぱり運用できる地域はいくつあるだろう?内閣府の活動紹介を見ていれば、大体が常連の自治体が占めている。
 幸い?私のいる町は、8000人程度の普通の町だ。良くも悪くも、政治は方向性を持てず、役場も新たな取組をはじめる余力もなかった。だから、地域にある私たちでできる資源で、お金をかけずにプログラムを作る。
地域の林業会社に丸太と竹を提供してもらって流しそうめんをする、秋田市にある国際教養大学に出向いて外国人に小学校へ来てもらう、みんなでお金を出し合って高校生レストランの仕掛人を呼ぶ、もちろん情報発信は無料のSNSで。
 1つ1つの取組みは、大きな文脈につながっていく。地域に学びの場を作る動きが巻き起こるように、タクティカルアーバニズムなど仕組みを頭の片隅におきながら、ただ目の前の出来事を楽しんでいく。そこには、これから仲間になってほしいPTA,行政機関、教育機関など、1人1人に声掛けをしていく。9年を経て形になった関係を支えるのは、これまでのみんなで過ごした学びの記憶。記憶があのときの気持ちを呼び起こし、次の関係を育んでくれる。

公教育を応援し、学校外の学びを許容する


 公教育を否定する立場にいると、たまに勘違いされる。学校は学習指導要領のもと、学校という組織の中で1人1人の教員の方々が最善を尽くしていることを知っている。仕事を心から尊敬している。これ以上のことを求めるのは酷だ。
 formalな公教育は教員の方々が最大限を尽くしているのだから、地域のinformalな学び、放課後や休日など学校外の時間に私たちは焦点を当てて活動している。
 休日は、朝市での子ども向け工作教室や、農業生産法人による稲刈り体験、放課後ではわらしべ塾のプログラムやただの遊び場、学校を休んで地域で学ぶ子にはハイブリッドスクーリングなど。
 学校教育は駄目という人は肯定できない。それは、日本が育んできた大切な学びの場だ。ただ、学校以外で学ぶという選択肢も尊重している。決して、学校外をおすすめするのではなく、許容するという立場。学校で学ぶのも、学校外で学ぶのもありで、どっちもいいと思っている。ただ、学びの機会を放棄するのは、教育機会の喪失でありあってほしくないと思う。


”学びのmobilityを高める””これからの[学び]は[遊び]になる””地域の学びへ政治力を高める”など、まだまだ考えていることはあるけど、まず今日はここまで。


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