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探究学習が目的化する矛盾|教育効果測定の時間軸と難しさ

高校生向けデザイン教育プログラム「国語・算数・理科・デザイン!」をはじめて3年目。秋田県の「若者と地域をつなぐプロジェクト事業」に採択されて取り組んできた。身近な事象の観察からはじめ、自身の関心に気づく内面の観察を経て、可能であれば活動をはじめてみることを伴走支援してきた。

目的化する探究学習は内発的になりえない

教育現場からは、探究学習そのものに見えるらしい。ただ、異なるのはプログラム化されていないこと。教育現場では課題発見、解決まで実施することが求められる。このとき、取り組む学生が自身の関心に気づくことや、内面に向き合う時間はほぼない。なぜなら、探究学習の実践が目的になってしまっているから。教育的評価を求められると、仕方がないとは思う。

でも、正論を言えば、答えのない社会に出たときに役に立つのは、自身の関心もわからないときに内面に向き合い苦しみながらも生への納得を導き出す忍耐力を身につけること。探究学習は本来、”内発的発展”の世界観から生まれたもの。そこには、自身が自身になっていくことを待つ時間がある。公教育には期間があること、大人数で取り組むことが、探究を困難にしている。

このジレンマは大学でも起きているらしい。都市経営プロスクールでお世話になった竹内昌義さんも同じ課題意識を持っていらっしゃった。voicyで聞いてみてくださいね。

世の中に求められていない、けど内面が求めている言葉で語ること

国語・算数・理科・デザイン!の最終成果報告会の評価をアンケートを明日夜まで募集しています。3時間30分と長いのですが、そこで見ていただきたいのは、プロジェクトの成否ではなく、自身とどれだけ向き合ったかです。世の中でよく言われる言葉ではなく、自身の関心に向き合った1人1人だけの言葉が、半分くらいのチームからしっかり聞き取れると思います。一方で、求められている言葉を発する学生もいます。この時間内に、自身と向き合うことまでたどり着けなかった結果だと思います。

目指すのは、若い世代が学ぶのを地域が見守れる社会であること

アンケートでは厳しい意見もいただきました。否定的な意見が出ることを正面から受け止めつつ、それでもこれからの若い世代が自身のもつ力をしっかり描けるような社会になること、そのための税金を使った事業です。学生が自身の関心に向き合うなかで地域の人々が共に学び合う関係ができてしまう状況、雰囲気、関係性を醸成すべく身銭切って取り組んできました。

まだ4年。あと16年は取り組んでいきたいと思います。

★アンケートもし回答いただけたら嬉しいです!★3月14日深夜まで!
コメントいただければ、アーカイブ冊子をお送りします。


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