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ものとひとが関わる時間

岐阜県多治見市。多治見焼、意匠研究所、モザイクタイルミュージアムなど陶磁器の町として有名。焼き物の原料となる土や粘土の生産地でもある。

友だちが意匠研究所に通っているとき、多治見に遊びにきたことがあった。そのとき行けなかったのが、ギャルリ百草だった。陶芸家の友人はとっても癖があって、普通のカフェには見向きもしない。音楽にも詳しく、陶芸と音楽は似ていると話していた。その時、私にはちっとも意味なんてわからなかった。

多治見の端っこにあるカフェを目指す。丘の上にある小さな住宅街を超えても見つからずいよいよ不安になってくる。丘を下りはじめると、1人の若い女性が一所懸命に道路脇の落ち葉を谷へ向かって掃いている。その向こうに斜面にそって3軒の大きな屋敷がある。きっとここだ。

坂を降りた先にある駐車場に車を止める。お店へ向かって斜面に道を探すと石段がある。あまりに森に馴染んでいるけど、新しく作ったものかもしれない。登った先には鳥居があるから、やっぱり昔からあったものかな。

ギャルリ百草は名古屋で医師を勤めた人の大きな屋敷を1980年代に移築した建物だった。ゆったりとした2階建てのギャラリーと、建物の端にカフェもある。

オーナーは陶芸家の安藤雅信。オープンのきっかけは、「工芸と美術の間にある溝を埋める」ことを目指し”生活”をテーマにギャラリーを通して取り組むことだった。

畳くらい大きな鉄板に1つの器が音もなく置いてあったり、茶室にはアンビエントな音楽が流れる中に、茶器が音符のように並べてあったり、はたまた高さ30cmくらいホワイトボックスの上に飾ってあったり。畳、板の間、それぞれの空間に器が暮らしていた。

友人の陶芸家が「陶芸と音楽は似ている」と言ってた。その意味がこのギャラリーで伝わってきた。1つ1つの器が、形、素材、色を通して、どう暮らしたいのか、どういう音楽を流してほしくて、どんなときに使ってほしいのかを訴えてくる。形は作家が目指した世界を雄弁に語る。美術とはなにか?工芸とはなにか?美術と工芸の差を埋めるのではなくて、その先にあるもの目指せないのか。西洋の美に対抗するのではなく、この島で育まれた日本の美意識を軸に形作りたい。

ギャラリーの中だけでなく、そのギャラリーが位置する森とその斜面まで含めてギャラリー。一生懸命、落ち葉を掃除していた女性は、ギャラリーのスタッフだった。百草よろしく、多治見の端っこに1本だけひっそりと佇んでいて欲しい。

ギャルリ百草

https://www.momogusa.jp/index.html

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